見送りプロジェクト完遂!

2024/4/11(木)
昨日(2024/4/10)に、無事、葬儀を終えることができました。

昨夜は久しぶり(2週間ぶり)に自宅に戻り風呂にも入り、お通夜で父と交わしたお酒の残りを少しいただき、ゆっくりと寝ました。

朝起きて、自宅の庭(私の家は戸建てでやや田舍なので庭はそこそこ広い)に出て見ると、わずか2週間でも様々な営みが行われていることに気付きます。
3月に植えたジャガイモはいくつも芽を出し、イチゴ(雑草みたく増えるので今は100株以上ある(笑))もたくさん緑の葉が出ていて、花をつけている気の早い株もありました。
ハナモモは満開を過ぎて、落ちたはなびらが庭を飾り、モミジも地味な花をたくさん付けています。
私がいない間も黙々と育つ植物を見ると、嬉しくなります。

もっとも、嬉しい変化だけではありません。
雑草も次々と新芽を出していましたので、30分ほどですが草引きをしました。
春の暖かさも相まって、とても穏やかな朝でした。

余談になりますが、私は草引きが好きです。
お坊さんは修業の一環として作務(さむ)を行われますが、草引きも作務のひとつです。
私にとって、草引きは作務のようなもので、自分の考えを整理したり、新たな発見ができるとても大切な時間です。
というわけで、今日はブログのネタを考えつつ草引きをしました。

さて、今回は昨日の葬儀のお話です。

喪主を経験された方ならご存知でしょうが、葬儀ではやることがたくさんあって、振り返る余裕もなく、次々とミニイベントが発生します。
葬儀場の方々もプロですので、その流れに乗っていれば、失敗がないようにエスコートしていただけます。
それでも亡くなった方のクセや好き嫌い、ご参列に関して言っておかないこと、といった事情を洩れなく伝えることはそうそうできるものではありません。

今回の葬儀ではものすごく丁寧な担当の方に巡り合うことができ、感謝しきれないほどの配慮をしていただきました。
その配慮をいただく上で、ものすごく役に立ったのがこのブログだったのですが、それについてはいろいろ書きたいことがありますので、別記事で。

お通夜が明け、朝の8時になると葬儀場で朝食(パンとコーヒー、スープなど)を用意していただきました。
私は朝までコーヒーなどを飲みながら父と過ごしましたので、朝食はスープくらい。
でも、長男はさすがに若い!
出されたパンをパクパクと食べていました。

さて、葬儀は11時半からだったのですが、10時を過ぎると私の家族も含めて大勢の方が次々と到着されます。
ご挨拶もほどほどにバタバタしていると、すぐに葬儀の時刻です。

昨夜のお通夜ではご近所の方(自治会など)も大勢お越しいただきましたが、この日は数人でした。他はほぼほぼ親族です。父にはずっとつき合いの続いた友人もいたのですが、既に鬼籍に入られたり、お体の具合などで参加は叶いませんでした。

お葬式でも、喪主挨拶があります。今回は通夜式とは違ったエピソード(50過ぎてタイピングできるようになった話、妹の通所施設の法人化に協力した話)をしました。父のスゴさ故、エピソードなんていくらでも出てきますからね。(親バカならぬ息子バカ)

11時半からのお葬式の最後には、父の棺に私の家族の写真、父が愛聴していたNHKラジオの英会話講座テキスト、ずっと捨てずに保管していた我妻先生の民法本、などを納めました。
葬儀場の方が、私の「父の看取りのこと」ブログを全て印刷してくださり、それも棺に入れました。(私が泣いてしまった)
その後、みんなで棺を花でいっぱいにし、最後に母が庭で育てた花を花束にしたものを胸元に納めて、棺を閉じました。

その後は、喪主である私は霊柩車に同乗し斎場(焼き場)へ。
遺体を斎場の方にゆだねて、親族は昼食会へ。

ここでも、父のためのまつり棚があり食事(偲び膳)を出していただきました。
父のためにビールをつぎ、皆さんとグラスを合わせてからまつり棚に置きました。
ちなみに、ここでの食事はかなり多くて、お下がりとなった偲び膳の料理は食べきれないほどでした。

その後、お骨あげのため、斎場に戻ったのですが、お骨を見ても全く悲しいとか辛いと感じない自分に驚きました。
何も感情がマヒしていたわけではありません。
父を見送ることができたという満足感の方がはるかに強かったのです。

確かに「ここにあるのはただの骨だけだ」と感じたのです。
「これできちんと旅立てたんよね。お見送りできたね。心残りなくて済んだね」と思ったのです。

斎場から戻るバスの中で、父の妹さんの隣に座り、父の昔の話をいろいろ聞かせていただきました。ここでも父が面倒見の良いお人よしだったことを発見!楽しい時間が過ごせました。

その後、葬儀場の方と事後の事務作業(サインをしたり、今後の支払いに関するお話を聞いたり)を済ませました。

私は「父を看取る」に続けて「父を見送る」ことも完遂できました。

もちろん、多数の皆さんの協力があったからこその成果です。

特に、母の妹さんのお二人、特に末の妹さんには感謝の言葉もありません。
母が悲しんでいることを共に悲しんでいただき、体力と気力を果たすほどに母のケアをしてただきました。
本当にありがとうございました。

また、私には母方だけで9人のいとこがいます。(私が最年長)
彼ら、彼女らの協力がなければ、とてもこのプロジェクトは続けられなかったと思います。みんなええやつばっかりや。
そんな自慢のいとこたちにも深い感謝をいたします。

また、業務レベルをはるかに越えて、多くの方に助けていただきました。
ここでは書ききれない多くの皆さんにも最大限の感謝をいたします。

私が割と軽い気持ちで始めたこのブログが多くの方をつなぐ拠りどころとなりました。この貴重な場を提供してくださった note.com にも感謝をいたします。

上で書いたように、「父を見送る」プロジェクトはこれで完了ですが、今回のプロジェクトで書ききれなかったことがいくつか残っています。
まだもう少しだけこのマガジンは続きますので、ぜひおつきあいください。

さて、看取り、見送りとくれば、次は「お片付け」タイムです。

こちらは事務手続きがたくさん。
こちらもまた、いろんなところでいろんな方と話を聞いたりお願いしたりがありますので、書くべきこともあると思います。

というわけで、次のマガジン「父のお片付け」はこちらからどうぞ。
https://note.com/egao_it/m/mdcc6a92068fa


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