許すまじ、認知症
2024/4/8(月)
母は、喪服の準備、お式で使う写真のチョイスなど、いくつかの作業を順調にこなしていました。
夜になって、お風呂の前に少し寝入っていたのですが、目を覚ますと「おとうさんの具合はどう?起きている?」と聞きます。
「何をいってるの?起きたらえらいことやんか?」と返すと、目を丸くして、「え?お父さん亡くなったの?」というではありませんか。
昨日からの記憶がすっぽり抜け落ちたようで、父が亡くなったことをすっかり忘れてしまっています。
今は父はベッドの上で遺体として横になっています。
その様子を見ると、母は自分を殴り始めました。
「なんてことや、これだけ世話になった人が亡くなっているのに昼寝してたなんて。申し訳が立たない。私は何をしてるんや。なんて情けない人間なんや」と泣きながら自分を叩き続けます。
「そんなことはない。忘れているだけや。あなたは立派に役割を果たしている。何も申し訳ないことはしていない。」と何度も伝えますが、なかなか聞き入れてくれません。
私は今まで、認知症というものをあまり深刻な病気と考えていない面がありました。日常生活に困ることはあるけれど、周りのサポートがあれば、かなりの部分はカバーできるし、工夫次第で乗り越えることができると考えていました。
ですが、この事件を見て考えが変わりました。
認知症というのは恐ろしく残酷な病気です。
自分の連れ添いが亡くなるという人生で一番悲しい事実を、心が裂けそうな事実を何度も何度も初経験させられるのです。
こんな残酷な病気はありません。
痛みや苦しみが続く病気も大変でしょうが、その多くにはその痛みを和らげる薬や治療法があるでしょう。
誰だって、大切な人かけがえのない人を失う悲しみを知っていますが、その悲しみや辛さは一度です。よく言われることですが、悲しみは時間が解決してくれることも多いのです。
でも、その同じ悲しみや辛さを繰り返し繰り返し何度も何度も体験させるのが認知症という病気です。
こんな残酷な病気はないと思うのです。
私と母はいっしょに泣きながら「こんな大事なことを忘れるなんて悔しいよね。本当に悔しいよね。でもあなたは立派だよ。認知症に負けずに頑張っているんだよ。すごいよね」とはげましました。
一時間ほどして、ようやく母のたかぶっていた気持ちが落ち着き、お風呂に入ってくれました。出てきた時は少しはこの二日間の記憶が戻ってきたようで、父の死を受け入れてくれていて、ホッとしました。
でも明日の朝にはまた父が亡くなったことを忘れているのかもしれません。
しかも、それを避ける方法は存在していません。
これは母を支えようとしている私や家族、親類の全てにとって恐怖でしかありません。
私は認知症という病気を許せません。
怒りを向ける先もない話ですが、それでも「許すまじ、認知症」と言いたいのです。
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