映画『PERFECT DAYS』──役所広司の身体と輝ける巨大消費都市と木漏れ日とヴェンダースの東京物語
輝ける「退屈」の映画。
「木漏れ日」について語られる。
それはうつろいゆく、たった一度だけのこぼれる光。
たぶんそれは命の輝きに重ねられている。
同じものは一つもない、同じ瞬間も一度もない。
命が輝くから、影も現れる。
影も重なれば、より濃くなる。きっと……
主人公は、「ひとにはそれぞれの世界があり、その世界が重ならないひとたちもたくさんいる」と話す。「僕ときみのお母さんのように」
彼らは同じ世界にいたけれど、主人公は気づいたのだ、ここは僕の世界ではないと。
いま主人公のいる世界は、朝日を浴びて走る古い軽自動車と、神社の木漏れ日と、銭湯と、浅草の地下の飲み屋のチューハイと、隅田川の橋をわたる自転車と、歌の上手な女将さんのいる小料理屋。
100円の文庫本と、カーステレオで聴く古いカセットテープと、紫色の光に照らされた若木の鉢植え。
東京スカイツリーのふもとの木造アパートは、あまりにも彼に似合いすぎていて、かえって浮世離れしている。
彼は早朝、出勤前にかならずアパートの前のオンボロの自販機で缶コーヒーを買う。
銘柄が「BOSS」なのは洒落なのか皮肉なのか…、ちょっとめまいがする。
彼が自販機の缶コーヒーを買った時点で、
この映画はファンタジーだなと思った。
貧乏人は自販機は使わない。もっと言えば外でお酒を飲むことはさける。
お金がないのに、自販機を使ったり、外食でお酒を飲む人は、破綻を感じさせる。
映画を見るとき、この主人公はどういう人なのだろう、と観客はさぐりはじめる。
彼は破綻型なのだろうか、なにか失敗していまのような暮らしをしているのだろうか…、
あるいは、もしかしたら育ちの良いおぼっちゃんなのかもしれない。
そんな気もしてくる。
文庫本を読み、フィルムカメラを使っている。
フィルムの現像代はけっこうかかる。
それに、この主人公は定職についてきちんと働いている。
オンボロのアパートで質素に暮らしているから、見た目は貧乏に感じるけれど、お金には困っていないのだろう。
彼はこういう暮らしが好きなのだ。
彼は満たされている。
ただ、満たされている人は映画になりにくい。
彼は孤独だろうか?
孤独を好む人もいる。
孤独な場所から、世界を眺めることを快適だと感じる人もいる。
彼はそういう人だろうか。
ただ、自分で孤独に快適さを感じていても、
ある日、ある出来事で、一瞬その寒々しさを感じてしまい、震えて涙することもある。
これはそういう映画だろうか?
東京は意外に緑が多い。水辺も多い。
この映画は意識的にその緑と水に注目する。
やたら雨も降っている。
この天気の悪さは狙ったものだろうか。
最初の雨は効果的だけれと、全体的に薄曇りが多いと感じた。
撮影期間が16日しかなかったとインタビューで語られているから、意図よりも天候に恵まれなかったような気がする。
でも、それが作品の質を落としているとは思わないけれど。
美しい光に目を向けながら、晴れない気分があるのはこの映画には良いのかもしれない。
この映画は、騒がしい東京は巧妙にさけている。
世界有数の消費都市であり、巨大な商品市場である。
画面は大量に流れる自動車を映し出すけれど、、高額なブランド品から、100円ショップ、コンビニさえ登場しない。質素な暮らしにはスーパーの値引きシールとドラックストアの特売品がどれだけ助けになるか。
それでもこの映画は、大量消費経済から、いっしょうけんめい逃げて、逃げて、この映画にふさわしい画面をつくりだす。
なので、缶コーヒーの「BOSS」にめまいを覚えるのだ。
それにどうしたってこぼれてくるものがある。代々木八幡の杜で主人公の食べているサンドイッチはコンビニで買ったものだろう。
そして、「THE TOKYO TOILET」。
東京の輝ける公衆トイレ近代建築群。
主人公はその内側で汚れを落とし、清潔に磨き上げることで、生きる糧を得ている。
けっきょく僕らは大量消費経済からは逃げ切れないのだ。
でも、この映画の主人公のように生きることもできる。
彼はフィクションだし、映画の世界はファンタジーだけど。
ひとにはそれぞれの世界があるのだから。
この映画の主人公は豊かだよ。
外でお酒飲むし、フィルムカメラ使ってるし、なにより自炊してないし。
暮らしは質素だけどお金に困っていない人の映画だと思った。
たぶん、老後もいまの暮らしをつづけられるだけの経済力はありそうだ。
(いちど貧乏ぐらしをしてしまうとそんな感想が浮かんでしまう)
あとは「老い」と「孤独」と「病」。
この映画はどうやって終わるんだろうと、考えながら観ていた。
主人公の人生(物語)が終わらないとしても、映画には終りがくる。
それはどこだろう?
主人公が銭湯に入っているところで、役所さんの体を見て、「老い」を思った。役所さんの腕は太いのだけれど、胸板に老いが現れていた。
一瞬、笠智衆を想った。
そういえば、ヴェンダース監督は小津さんや笠智衆が好きだったな…、
そう思った。
小津映画のたどり着く場所も、「老い」と「孤独」。
東京の巨大な街なみに朝日が昇り、主人公の顔を照らす。
長い主人公の顔のクローズアップ。
そこから観客が感じるもの読み取るものは様々だろう。
ただ、確かなことは、
都市はまだまだ更新され、近代化され、巨大になる。ひとはみな老いていく。すべての人は必ず都市を去る。命ある者も失った者も。あなたも、わたしも、でも、また誰かが都市に現れる。そこに命を得るか、他所から訪れるか。都市はいつも移ろいゆく命であふれている。木漏れ日のように……
いつか、都市は滅びるだろう。そのときこの場所は「東京」と呼ばれているだろうか。
映画は終わったが、主人公の物語はつづいている。
最後の彼の顔を見ながら、彼の「孤独」が清々しいものでありますようにと、祈った。
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