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椋原健太選手のキャリアのお話

U-15から日本代表の “常連” メンバーで、同世代では全国的に知れ渡っていた椋原さん。
FC東京のアカデミーでは常にハイパフォーマンスで物静かな性格は重宝され将来が嘱望されていた。鳴物入りでトップチームに昇格し、その後はセレッソ大阪、サンフレッチェ広島でプレー。J1トップクラスで活躍した。
2018年、29歳のときに活躍の場をJ2ファジアーノ岡山に移してからは主力級に活躍。まだまだ現役を続けられると誰もが思っている中、2020年12月31日に31歳という若さでスパイクを脱いだ。

そんなエリート街道を歩んできた椋原さんに、後輩たちのキャリアの助けになるよう自身のキャリアを振り返っていただいた。

最後にプレーしたのはJ2ファジアーノ岡山


海外でプレーしたかった


大貫:まず、プロサッカー選手になったときの最初の志や目標はどこだったのでしょうか?

椋原健太さん(以下、椋原):いや、もうそれは海外でプレイしたかったね。日本代表はやっぱもう無理だっていうのはなんかわかってて。

大貫:世代別の代表も常連だったのにですか?!

椋原:うーんやっぱね、もちろん夢見て努力するのはいいと思うけど、現実を見るとやっぱり厳しいのはわかる。海外でプレーしたいなっていうのはすごい思ってたからそれが唯一後悔!サッカーで金もらって海外で仕事できるなんてもう最高じゃない?!もうこれ以上ない経験だよね!
俺も代表でヨーロッパ・中国・アメリカ・南米とか行きまくってたから、すごい良い経験が詰めて自分にとってプラスになることしかないのは分かっていた。だから海外は行ってみたいなって思って、岡山を満了になったときは(ラストチャンスだったから)一瞬迷った。これでいいのか、って。
俺も住むならドイツかイタリアが群を抜いていいかな。イタリアはご飯美味しいし。ドイツも好きだけね!
その時点で、やっぱサッカーが中心の人生というふうには考えてないかもね(笑)


トップ昇格より大学進学を希望


椋原:そもそも俺、別にサッカー選手になりたくてなかったんかな?というふうにはずっと思っていた。
大竹洋平(現・長崎)と廣永遼太郎(現・神戸)と高卒でFC東京のトップに上がったんだけど、多分あいつらはプロになりたかったんだよね。でも俺は、トップに上がれるて言われたときに、当時のユースの監督に「大学行きたい」って言って、めっちゃ怒られた!
「お前、バカ!お前が上がらないでどうする!」って(笑)
代表の経歴もあったから早稲田大学とか筑波大学とか学費かからないで行けたからすごい興味あって…。

大貫:今考えると誰もが欲しい選択肢ですけどね(笑)

椋原:うん、もしそこで活躍してプロになれたらラッキーだし、なれなくても学歴つくからね!選手生命なんてそもそも短いし、自分が通用するほど甘くないというのは、もうユースのときトップに練習参加してわかっていた。
そういう性格だから堅実にお金貯めたりすることもできるのかも(笑)
でも、やっぱいざプロの世界入ったら、もうこの世界でやっていくって覚悟決めなきゃいけないから。そういう意味では最終的には海外でプレーしたかったかな!

「もしもう一度そのときに戻れるなら、大学には行かないこの選択肢をまたとると思う!」

大貫:かなり早い段階で “日本代表を目指すこと” をしなくなったと言っていたが、具体的になんでそう思ったのですか?

椋原:トップ昇格した2008年、FC東京には良いサイドバックが選手いたやん。まず同期入団の長友佑都くん。そしてアテネ五輪にも出た徳永悠平選手。代表っていうのはこういう人たちがいくようなレベルなんだと。もう無理だなって…
もしかして他のクラブだったら、サイドバックで高いレベルまでいく可能性もあったかもしれないけど、逆に彼ら(長友・徳永選手)のおかげで、自分自身を冷静且つ客観的に見ることができた。W杯や代表を目指すことを諦めたことは悔しさとかではなく、冷静に現実的にないなと。もう持っている元々のエンジンタンクが違うのよ(笑)

FC東京には13歳から13年間所属していた


南野拓実の頭を叩いた?!


大貫:海外への移籍はかなり真剣に考えていたのですか?

椋原:当時(2010年あたり)は今みたいに簡単には行けなかった。むしろ行ってる選手の方が少なかった。
まあラッキーなことに、(長友)佑都くん・森重(真人)くん・梶山(陽平)くんがいたから、エージェントも結構FC東京の練習を観にきてくれていた。それで色々話をして2部リーグでもいいからレンタルで、っていうところは考えていたかな。でもU-18以降、代表も行かなくなって距離が測れなくなっていたから、いつか行ければいいなっていうふうな漠然なイメージだった。
そしてその数年後にタイやアメリカに行くような選手が出てきた。けどそこは決断できなかったね。(海外の移籍)話がうまく入ってきて、もし独り身だったら行っていたかもしれない!結婚しちゃうとちょっと難しくなるかもね。
まあでも結局は自分がそこまでの実力ではなかったということ。

広島と岡山で一緒にプレーした高橋壮也とかもうぶっ飛んでて、すげーなって思ってたらアメリカ行ったし…。
Jリーグに留まっていたらそれなりに試合にも出て年俸も上がっていく可能性もあるのに、そのチャンスを振ってでも海外に行ってガンガン挑戦していて、やっぱああいうやつがいくんだろうなって遠くから見てた。

よっち(武藤嘉紀 / 現神戸)もそう。あいつなんかもう「お前めっちゃ下手くそやん」ってトップに来たときも思ってた(笑)
でも、試合ではギラギラして点もバンバン決めるし、(成長が)止まらない。

大貫:日本代表としてW杯にも出た、南野拓実選手(現・モナコ)や久保建英(現・レアルソシエダ)からも同じような雰囲気は感じましたか?

椋原:うん!やっぱもう持ってる馬力というかエネルギーが違う。それはサッカーだけじゃなくて、人としてプラスのエネルギーがあって何かを巻き込むチカラというか、全ての運を引き寄せるような…。エゴというか、上のレベルに行くんだっていうのがもう比べものにならないね。

(南野)拓実は高卒で上がってきてすぐディエゴ・フォルランにさ、「パス出せよ!!💢」って!
俺、その場で頭叩いて、「お前それはあかん。W杯のMVPだぞ(笑)」って。そのあと謝ってたけど、でもやっぱもう持ってるパワーが違かった。冷静じゃないというかも

う熱すぎて(笑)
持ってるものが情熱が違うから、やっぱ行く海外に飛び込む選手って抑えが効かないんだろうな!

ファジアーノにも良い選手は多い!けどやっぱそのアクセルはね、踏めないかな。まあ、俺が踏まないタイプだから強くは言えないけど、踏んだらもっと伸びるのにな〜って思うことはある(笑)
踏めないと踏まないでどんどん落ちていったりするもんなんだよね。
結局貪欲な選手はどこにいてもいずれは上がってくるということ。

戦友の久保建英選手


スポンサー訪問は “超”重要!


大貫:Jリーグが30年目を迎え、当時の選手が一通り様々なセカンドキャリアを歩んでいます。現役選手への助言や提言に差異がないにもかかわらず、若手はまた同じようなことを繰り返していると感じます。

椋原:まだやっぱり全然そこ(将来)が見えていないからこそいろんな人と出会ったりいろんなことをやってみて、その結果、自分が何に興味があるかとか、意外とやってみたら強みがあったとか、そういうことを知ることができると思う。何か大きなビジネスを成すとかではなく、現状把握みたいなことで十分なのかなと思うんだよね。
その中でスポンサー訪問は超重要だよ。もう名だたる企業のトップに話聞けるからね。FC東京では東京ガス、広島でも広島銀行・エディオン、セレッソでもヤンマーとかもう大手のとこばっかりだから…
そういうスポンサー訪問っていうのはね、唯一社会と触れ合えるから、現役選手はすごく大事にした方がいいよって思う。正直めちゃくちゃめんどくさかったけど、若手の時は(笑)
むしろ俺もそれがあったから、今の会社に入ったんだよね!

現役選手だからこそ可能な出会いを大切にしてほしいと語る椋原さん


満了通達の場でお願い事


大貫:どのタイミングで(今の道へ行くことを)決めたのですか?

椋原:2020年の10月頃、クラブから契約満了ですって言われて、もうその場で「あ、じゃあ引退します」って言って(笑)
満了って言われる前から代理人に「多分厳しいかも」みたいな感じで聞いてたから準備はできてた。
強化部長から「いや、ままままま待っおいおい!」って言われたけど、「もう辞めますよ」と。
その場でもうすぐに、スポンサー回り行かせてもらってもいいですか?って(笑)

大貫:えええええ、それはもう満了言われたらそう言う想定してたんですか?一旦スポンサーを回ってみようみたいな感じなのか、それとも、どっか引っかかればいいという気持ちだったのか。

椋原:うん、もう俺の中ではアンドゥー1択だった。いや、色々考えてたけど、withコロナ初期だったから、東京に帰るっていう選択肢がまず持てなかった。
奥さんが徳島出身だから岡山から行きやすいっていうので、残ることに決めた。

大貫:アンドゥー1択は驚きです!

椋原:「アンドゥー行かせてください」って言ったら、「じゃあ全体的に一度色々見てみな。いろんな会社あるから」って言われて。
正直な話、ファジアーノでは3年で100試合ぐらい出たから知名度もあったし、そういうことも含めてそう言われたんだと思う!
アンドゥーは、ファジアーノ1年目にスポンサー訪問で行って、すごい良いなって心の中で思ってて、 記事読んだと思うけど、もうすぐにお店行ってその商品を買ったのよ!これがこのコストでできるんかと思って感動したの覚えてて…

別にお金にはそんなに困ってなかったから、家族が生活できるそれなりの収入があればよくて、そういう意味でもこの会社に行きたいなって、おぼろげに思った記憶がある。で、いざ引退したときに、やっぱこの会社に行きたいです。っていうのを強化部長にちゃんと伝えた!って考えるとやっぱそれなりに(セカンドキャリアについて)考えてたんだろうね。

現役の頃から“一択”だった念願の会社「アンドゥー」


大貫:それなりに考えてないと、最初に訪問したときにその発想になってないですよね!

椋原:多分、20代後半になってからの企業訪問はすごい真剣に取り組んでいた気がする。

大貫:20代後半に何かキッカケがあったんですか?

椋原:まあ結婚は大きいかもね!子どもたちとゆっくり過ごしたいというか、ずっと生活の中心にサッカーがあったから、ある意味 “普通の” 生活が送りたかった。
それもあって引退したらサッカー界に残りたくないって思ってた。
ファジアーノでは満了の通知と同時に、トップチームコーチでの残留も提案された。でも指導者はもっとしんどいからぶっちゃけなりたくなかった。より時間は制限されて給料も下がる…。いつクビ切られるか分からない職業で、その地にとどまることができない。
しかも指導者をやるのであればやっぱJリーグの監督とか、日本代表とか目指すべきじゃん。監督は誰かを選んで、誰かを捨てる選択しなきゃいけないわけで、それはしたくないなって。

一度きりの人生なら、サッカー以外のことしたいなって思ってる。まあでも去年からファジアーノ岡山特命広報大使をやらせてもらったり解説やらせてもらったりするから、 すっごい良い距離感なの!
1つのチームにコーチとして入っちゃうとさ、そういう仕事できないじゃん。サッカー以外の職業についたことによって、そういう仕事がしやすくなった。で、またいい距離感でサッカーと関われている。
川崎でいうと(中村)憲剛さん、FC東京でいうとナオ(石川直宏)さんクラスの人じゃないとできないようなポジションをやらせてもらっているのは、やはりファジアーノとの繋がりや出会いだと思うから、本当に良かった。

2022年3月15日、ファジアーノ岡山特命広報大使に就任


椋原:特命広報大使はチームから依頼されて、解説は元々ラジオの人と仲が良かったから、やってみる?って引退してすぐダイレクトメッセージ来て、もちろんいいですよ!って。

大貫:選手のときからラジオの人と仲良かったんですか?

椋原:うん、もちろんグランドで取材受けるからね。まああとファジアーノだと岡山に定住する人が少ないんだよね。レンタルだったら元のチームに戻るし、引退したら自分の地元に戻る選手が多いわけやん。もしくはカテゴリーアップするか。逆に俺とか(赤嶺)真吾さんみたいな人がめずらしい。

今後はファジアーノ岡山を外側からも盛り上げる

貯金の話


大貫:現役時代は生活に困らないくらいは(給料を)もらっていたと言っていましたが、選手からはダウンしたのは間違いないですか?

椋原:あ、そんな!そんなん当たり前!
高卒でFC東京のトップチームに上がって、一気にお金がもらえて。でも大きなお金もいつゼロになるか分からないから、俺はできるだけ多く蓄えておこうって。将来のために!先輩に紹介してもらってお金について色々学んで、貯金が必要だから積み立てて…

大貫:ずっと準備してきたってことですね!

椋原:老後のお金と、子ども2人分の高校・大学の資金と…
最後に一番デカい積み立ての支払いが終わった瞬間からもういつやめてもいいやって、心が楽になった。それもあって満了が伝えられたときに、速攻でスポンサー紹介してくださいって言えたんだと思う。
選手はみんなお金の大切さは知ってるんじゃない?でも(貯金や積み立ては)やるかやらないか。性格だと思う!
でも、やっぱ絶対やっといてよかったなと思う。こんなのお前じゃないと話さないよ(笑)

大貫:実際にアンドゥーに踏み込んでみてどうでしたか?

椋原:おもろいよ!だってサッカーしかしてこなかったからバイトすらしたことないぞ、俺!

大貫:バイト1回もしたことないですよね?!

椋原:1回も!なんだろう。でも多分ね、アンドゥーは会社がいいんだと思う!色々な社会人の話を聞くと、やっぱりしんどい部分もあるんだと思う。俺もしんどい部分がないかと言われたら嘘だけど、でも別にサッカーのときに比べたら全然しんどくないから(笑)

大貫:健太くんの性格もあるのかもしれないですね!

椋原:なんせ、もうサッカー以外の仕事がやりたくて仕方なかったから、言う通りで多分どこ行っても楽しいでいたかもね!もう今楽しくて仕方ない!サッカー以外のことも初めてできているし、絶対に週2でオフあるし!
現役のころ2日オフは1ヶ月に1回あったラッキーって思ってたから、今は毎日あるし、当たり前の普通の生活がやっとできている!

今が本当に楽しい!と口にする椋原さん


いろんなことをやっておけ。 特にスポンサー訪問!!


椋原:セカンドキャリアに関しては、もう色んなことやっといて間違いはない。
でも俺もそうだけど、すごい選手ではなかったから、選手として毎日100%出し切っていると何かやる余裕がないのは分かる。生きるのでいっぱいいっぱいだったから。でもそれでもやっぱね、パソコンのスキルとスポンサー(企業)訪問。後者は別の世界に触れられる唯一の機会を持てる特別な瞬間!それだけは絶対大事にした方がいい。
ただ、パソコンを扱えるようになるはなった方がいい、というか俺みたいにサッカー界以外で働くって決めてる選手ならもうマスト!というか生きてくうえでマスト(笑)

パソコン作業にも精を出す


(サッカー選手は)普段出会えない人とも会える。会社訪問なんか行くならもういきなりトップに。あれはいや本当にそうもうね、信じられない。
俺はパソコンは一切やってこなかったけど、“出会い” に関してはそれなりには繋がりを大事にしてたから、今もそれなりにスムーズできている。
メールも最初CCとBCCってなんの意味があんの。別に送り先全員でええやんと(笑)


椋原さんのTwitter:https://twitter.com/knss77101

株式会社アン・ドゥー:https://un-deux.co.jp










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