アラフィフ女子アル中タラレバ日記 アル中のきっかけ@同棲④

アラフィフアル中のミーコです。
今日もよろしくお願いいたします。
旦那と別居中、父、母、4歳の息子と同居中。
無職。病院とハローワークの日々。

本日もよろしくお願いいたします。
きっかけ@同棲の続き、④です。

そんなこんなでお決まりのパターンで
飲んだくれてホテルに行くわけですよ。
記憶が定かではないですが、寝てるオッサンを横目に寝起きにいっぱいやってたんでしょう。
一杯、ではなくいっぱいです。

朝ごはんは二日酔いで入らないので、
ランチでもしてからに着いたと思います。
当時、わたしは実家に住んでたので帰ったら母親になんやかやと言われるので夜まで一緒にいたのかもしれません。

次の日の朝は酔っててもきます。
重いどころではなく、ちょんぎりたいくらいの頭をひきづって、スッピンで電車に乗るわけですよ。仕事は惰性でしたが、根は真面目なんで
それなりにやってたと思います。
タバコが自由に吸える会社だったんで、
タバコ場に避難しながら。

その時の会社では、上司と同僚っていっても大分年上の人ばかりでしたが、その人たちに囲まれて仲良くやってました。
赤坂が最寄駅だったので、ランチも選びたい放題でしたね。
韓国料理屋さんが多くて、参鶏湯が絶品のお店がありました。また食べに行きたいなぁ。

話が脱線しましたが、同棲の話。
長いので割愛しますが、その後も何回かあって大体ホテルのレストランで鉄板焼きやら中華やら食べてしこたま飲んでいたんでしょう。
そんな時に大事件が発生するんですね。
心筋梗塞で倒れたんですよ、N氏が。
家族がいるのでもちろんその場にいるはずもなく、でも、緊急オペが終わった直後にLINEがきたんですよね、
手術が終わったって。
びっく。なんてもんじゃないですよね、
死にかけたんですから。

それで、命に別状がないことがわかったんですが、それからせききったように、ですよ。
逢瀬、爆笑、がはじまったのは。
一度死にかけた人ってなんていうんですかね、
もう自由なんですよね、解放感じゃないですけど、なんていうんでしょうか。
人生を謳歌してやる!!!みたいな気合いが違うんですよ。それに、私も乗ってしまったんです。

家にいたって母と父とぼんやり怒られながら暮らすだけ、仕事も大して打ち込んでるわけではない、
とにかく飲んで楽しく暮らせればいいだけのわたしはもちろん、それに乗らないはずがないわけで。
飛び乗りましたよ、それこそ今度こそ結婚!
って気合いいれて。15上でしたけど、子供も
ほぼ成人に近い年齢でしたし、3人もいるのに。
家もあったけど、もうどうでもよかったんでしょう。奥さんとも家庭内別居みたいな感じっぽかったし、もういいって。散々いってたんで。

ここから転落の人生がはじまるとは知らずに
わたしはほくそえんでたんです、これで安泰!
って。
なんてバカだったんでしょうね。
今では感謝してもしたりないですがね、途中は本当に殺してしまおうと何度も考えましたよ、
うちの両親は本気で心配してたんじゃないでしょうか。それくらい狂気、もっと強い怨念かな、
に満ちていた。
先が見えないどころか、どん底なんて言葉じゃ表現できないくらい、落ちてましたから。
みんなには死んでたと思われてたみたいですよ。
そりゃ、そうですよね。
忽然と、姿消しましたから。

その続き。今日は長めに書きたいと思います。
それからはもう私は家からも数着の洋服持って、
家出です。両親も慣れっこなので、
そんなにうるさくは言いませんでしたね。
生きてりゃ御の字と思っていたんでしょう。
おそらく。
アドレスホッパーみたいに高級ホテルを点々として、そこにのこのこついて仕事には行きつつ飲んだくれてたんですが、2ヶ月くらいかな。
経ってから、一緒に住もうかって話になって
2人で飲みながら溜池山王かなんかの小洒落たカフェで物件探しですよ。
ウキウキですよね。ホテル暮らしはそれはそれは楽しかったですが、のんびりできる家が欲しかったわけで。タクシーに大荷物積み込んで移動してましたから。
ほどなく、それはそれはため息の出そうなゴージャスなマンションに住むわけです。
そこがアル中人生のはじまりだったわけですが。

最初はよかったんですよ、好みに合わせたご飯作ったり、六本木の最先端のビルで100万近く豪遊して、お姫様のようでした。目眩く世界ですよ。
今はもう全然戻りたくないけど、アル中鬱時代は
思い出してはそりゃ戻りたくて仕方がなかった。
あの時どうしてなんだろって。
いやいや、大正解ですよ。
神様とご先祖さまは私を見捨てなかった!
いかされてる、ってどんな自己啓発本読んでも
何冊読んでもわからなかったですが、
はじめてその気持ちがわかりました。
目覚めるっていうか生まれ変わったようですよ。
人生ってお酒やめるだけでこんなに開けるんですね。世の中のアル中の人々が気づいてくれたら
日本の生産性あがりますよ、マジで。
山口達也さんにバンザイ!!!です。
一介の私に言われたくないでしょうが…
応援してます!!!

ほんの3ヶ月くらいでしょうか。
その蜜月が続いたのは。それからは大喧嘩三昧。
包丁は持ち出して流血沙汰になるわ、
15階のマンションから飛び降りようと、
いや半分落ちてたらしいですがね。
さすがに止めたらしいです、警察沙汰になって
最終的にはわたしは追い出されましたが…

お酒はそのオッサンも朝からペットボトルに入れて持ち歩いて旅行で飲むくらいなんで、
切らさないわけですよ。
高いお気に入りの焼酎が一升瓶で6本入りが
常備してるわけです。それを私が朝から
ぐびぐびと惜しげもなく飲んで、マンションに居座る。悪魔か死神か、いやもっと酷かったです、
きっと。
とんだ拾い物しちゃったと思いましたでしょう。

仕事は一緒の会社にいたわけですが、半年くらい経ってやめたんですよ。その人は手伝いでフルで
会社にいて、青山一丁目から徒歩2分くらいの
ところにオフィスを構えていて。
健康食品、サプリの会社でした。
手伝いの会社で年商1億とか言ってたんで、
自分の会社は道楽ですよね。
わたしはそこで楽しようと思って入れてもらった。お酒に溺れて、マンションで酒を浴びるほど
いやもぐるほど飲んでいたので全く行かなくなったわけですが。

旅行も死ぬほど行きました。お酒ツアー。
朝からペットボトルに焼酎ストレートで入れて、行きの電車から飲んで旅館についても飲むか
買い物、贅沢三昧。陶芸?雑貨?のお店に行って、とある陶芸家の作品30万とか買って送ってももらいましたっけ。
年末年始もどっかに泊まって飲みと寝正月。
宿泊代だけで30万くらいですよ。本当に神経が麻痺していて、お酒に飲まれていたので
もちろんわからないし、お財布の存在すら忘れてましたから、当たり前ですよね。
毎週10万、なーーーんにも支払ってないのにお小遣いもらって。罪悪感があるので、両親には年末年始の旅行代だの、高い食材とかプレゼントしてました。その頃の貯金、どこいっちゃったんでしょうね。
今あれば子育ての足しにできたのに…仕方ないです
その当時で一つだけ良かったのは、両親にプレゼントした年末年始の旅行。
山梨のペンションでしたが、こじんまりした個人経営のところだったようですが、
えらく気に入っていて今も行きたいようです。
99%のお酒と1%の罪悪感でできていた私に
とっては、それがせめてもの救いでした。

焼酎、どれくらい飲んでたんでしょうね。
一升瓶がすぐなくなってたとぼやいてたので、
相当飲んでたんでしょう。
自動的にお酒が補充されてましたから、コンビニに走る必要もなく。
アル中にもなるはずです。両親とご先祖に感謝してるのは、私の身体、遺伝子。こんなに飲み続けたのに、まだ身体に何も支障がきたしていないこと。ありがたいという言葉では言いたりませんね。ご先祖さま、この場を借りて深く感謝いたします。

当時、会社もワンマン社長が道楽でやってるわりに会社中に怒鳴り声が響くような声で罵声を浴びせてた会社なので、パニック障害にもなったんですよね。お酒のせいももちろんありますが、電車に乗ってて息ができなくなって、慌てて降りて救急車呼んで。ほどなく帰りましたが、色々とありましたね。厄年プラス、私は霊合成人でもあるので、
ジェットコースターのような人生だと思ってます。スリル満点、生きるか死ぬか、
いや死にはしませんね、マジでついてます。

お酒にまつわる話はあと、なんでしょう。
流血事件がひどかった。何かで口喧嘩、
決まってはいるんですが、結婚しようとかほざいてたくせに、一向に離婚しない。
今ではその気持ちはわかりますが、本当にのらりくらりとしてたんです。お金だけは送ったり、子供に会いに行ったりはしてたので嫁はおとなしかったですけどね。
それで、死んでやるといいつつそんな勇気はない私は、血でも見せようと思って大理石の台所で包丁をぐさっとシンクに叩きつけたわけです。
傷跡が残らなかったので幸いですが、
一歩間違えたら手首でした。危ない橋渡ってましたね、自ら。何がしたかったんでしょうね、
浴びるほど飲んでもなくならないお酒代とタバコ代さえあれば良かったんでしょう。
両親も何もかも捨てても良かったんです、
その頃は。恐ろしいお酒です。
二度と飲まないで済むでしょうか。
今でもわかりません。

一気に書きすぎたのでこのくらいにします。
今日もありがとうございました。
また明日に。熱中症にくれぐれも気をつけてください!!!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?