私の両親について (2018年5月15日)
2018年5月13日,私はFacebookに次のような投稿をした。
母の日か。こういう日の存在というのは時に暴力ともなりうると思うので,私はいつもの調子で,こんなもん本当に心から祝いたい (感謝したい) 人だけ祝えば (感謝すれば) いいんだよと言っておく。ついでに言うと,そんなことより一緒にマリア讃歌歌おうぜ。
これを背景に翌々日 (2018年5月15日) やはりFacebookに書いたのが,以下の文章である。
私が母の日についてああいうことを書いたので,誤解があってもおかしくないと思うから断っておくが,私自身は母にはよくしてもらった者である。ついでにいうとそれは父についても言える (ついでと言っては悪いが。今日命日だし。彼岸からの抗議的ツッコミが入ることを期待する)。
親として以前に人間としての二人についての私の印象を述べるならば,まず出てくる言葉は次のようなものになる。それぞれ弱さを抱え,また,生きた国と時代の弊害にいろいろと悩まされたり毒されたりして苦しみ,特に母は素晴らしい天分を十分に活かすことができず,二人とも私には十分に幸せだったとは思えない生涯を若くして終えた。
しかしその上で,親としては二人とも実によかったと思う。遅くとも中学生のときから私が (無意識に) 心情的に距離をとる (心を凍らせる) ようになっていったため,親子関係はあまりよいとはいえなかったが,それはまた別の問題である (なお昔はこの点で自分自身を強い言葉で非難していたこともあるが,今は自分を責める気はない。一種の防衛機制が発動したにすぎないと考えている)。愛情と善意には疑いの余地がなく,放任しすぎず管理しすぎず,学校が悪いときは私につき,私が悪いときは学校につき,2度の重要な進路決定においては諸々の痛みを伴いながらも私の意思を尊重してくれた。さらに,雑食気味ながら概ねよい趣味の文化的生活 (おもに読書と音楽鑑賞) を自ら持つことで自然とそれを私にも伝えてくれたし,積極的によい本を買い与えてくれもした。などなど。
ちなみに母についてはさらに,信仰のことについてさえ無関係ではない。母は長らくキリスト教に関心を抱いており,カトリックの通信講座を受講したり,少なくとも1度小学5年生の私を連れてミサに行ったり,日本のキリスト教作家たちの作品をたくさん読んだりしていたからである。それらの本のうちいくつかは,すでに母の生前私の心を一度強く動かしたし,母が亡くなって2年後に私が本当にキリスト教信仰に入るに至るときにも大きな役割を果たした。
前述のとおり,私は親子関係において心を凍らせていたので,二人それぞれの死にあたって悲しみは全く感じなかったし,その後も今に至るまで,親が生きていないことを辛く思ったことは,少なくとも記憶にある限りでは,ない。むしろ自由でいいと思う (たとえば,2011年9月に渡独してから,私は一度も帰国していない)。ただ,ここ (Facebook) に出しているような写真や文章をもし彼らが見ることができるとしたら,それも面白いだろうとは,今は思える。両親ともこの世にいない状態になって11年,私ももう心を凍らせきっている必要がだんだんなくなってきているのかもしれない。
私の両親は,いろいろ弱さを抱えながらも,知性と良識と豊かな心情とを備えた人たちだった。40代の危機を乗り越え,50歳,60歳に達することができていたら,今,16年前・11年前より幸せに生きている私といろいろなものを分かち合い,彼らも喜び楽しむことができていたかもしれない。それだけは,私も少し残念に思わないでもない。
補足1:2020年9月10日,Facebookでこの投稿を自らシェアした。
補足2:その後本稿 (note) 投稿時点までに1度帰国した (2023年秋)。