【お知らせ】(グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ)

 季節柄,本業のほうに十分な余裕がない状態ですので,しばらくお休みさせていただきます。復活の主日・日中のミサの入祭唱("Resurrexi")をもって再開できれば気分がよいところですが,実際にはおそらく復活節第2主日のそれ("Quasi modo geniti infantes")からになると思います。
 なお,お休みさせていただく期間には,そもそも入祭唱のない,あるいはその点微妙である典礼もけっこうありまして,それは
● 棕櫚の主日(枝の主日)(行列で始まるため。ただし開祭から行列が教会に入ってゆくところまでの一連の歌はある)
● 聖金曜日(完全な沈黙をもって始まるため)
● 復活徹夜祭(「光の祭儀」で始まるため)
です。

 四旬節第5主日の入祭唱 "Iudica me" については,教会暦に関することを述べる導入部だけ書きました。暦のことに関心がある方のため,それだけでもここに載せることにします。
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 昔も今も,四旬節第5主日に歌われる。ただし,1962年版のミサ典書ではこの主日は「受難節第1主日」と呼ばれている。この日から始まる四旬節最後の2週間を特に「受難節」扱いしていたのである。現在でもこの日から十字架と聖画に覆いをかける習慣があるが,それはそういう伝統によるものである。
 さらにさかのぼって,1474年(つまりトリエント公会議より前)のミサ典書(を打ち込み直したもの)を見てみると,そこではこの主日はただ「受難の主日(DOMINICA DE PASSIONE)」と呼ばれている。この語は,現在の「通常形式」の典礼では棕櫚(しゅろ)の主日(枝の主日。今回話題にしている四旬節第5主日の1週間後)の別名なので,混同しないよう注意が必要である。
 Antiphonale Missarum Sextuplexにまとめられている8-9世紀の諸文書の中では,Compiègneコンピエーニュのミサ聖歌書(9世紀後半)だけが「受難の主日」という語を用いており,ほかは単に四旬節第5主日であることを示しているか,それすら記さずただ「主日」としているかである。
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