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AIのつくるコンビニ弁当

生成AIにキーワードをいくつか入れたら、あら不思議、ブログ原稿一丁あがり。そんなゴミがnoteでも量産されてるわけなんだが、なんともまあ味気ない時代になったもんだ。人がわけわからんことを書いてるのをのぞきみて楽しんでる身としては、まったくもって邪魔である。クリックして、なんだ生成AIインスタントnoteじゃねえかとがっかりする。小見出しつけて、項目立てて、時系列にまとめて、読みやすく理解しやすくしやがって。よくわからなくて支離滅裂な人間的なものが読みたいんだよね、こっちは。

生成AIでブログを書きたいなら、こちらをどうぞご利用ください。
https://www.conoha.jp/lets-wp/blog-ai/

でもなんかさ。なんだろうね。料理とか面倒だから情報という栄養を手っ取り早くサプリで提供された感じ。仕事で使うぶんには効率いいし、全否定はしないけど、味わいなど求めないという感じですか。パパッとつくる時短ですか。こちとら疲れて帰ってきて夕食がコンビニ弁当だったような侘しい気持ちである。なんだろうな、この感覚。まずくないんだけどさ、読んでいて味気ない。

AIで書かれたテストの答案が、AI検出器で見抜かれるように、これからはAIで書かれたブログは判別できるようになっていくはずだ。すでにAIで描かれたイラストは、素材販売サイトで「AI」とタグ付けされている。テキストだけがこの「AI印」から逃れられるという保証はない。というか、「AI印」を付けてくれ。もしくは「このテキストはAIで書かれています」とか書いてほしいもんだ。

さて、これからnoteのようなブログはどうなっていくのか、に、ちょっと触れよう。

まず、AIテキストのフィルタ機能ができるだろう。あとは、なんだろうな。人間が書いておりますよ、というリアリティを出すために書き手も多少の演技が入ると思う。したくないんだけど、わざと人間臭く書いたり、もっと言えばわざとスペルミスをしたり。途中でため息をついたり、そんな演出をせんと見抜かれる可能性が出てくる。はあ。人間が人間であることを証明しようと人間のような振る舞いをするのは人間としてどうなのよと思ったりする。

そういえば、本来このnoteを始めたきっかけが、そういうことだった。役所的な広報仕事の代筆をし、BtoBビジネスの分厚い企画書を仕上げ、偉い人のために大量のネガティブチェックを潜り抜けた針の穴を通すようなスピーチ原稿を用意して、ある意味なんにも頭を使わない理系的原稿をやけに書かされてきたせいか、その日の気分の揺らぎまであるような人間的なものが書きたくなった。

AIの進化は、人間にとって、問である。「人間らしさとは何か」「未来をどう作るべきか」という本質的なテーマであり、これにどう答えるかが私たちの未来を形作る鍵となる。創作を大切にするプラットフォームで生成AIブログを大量投下するのは、ひとつの息苦しい未来を示している。なんて偉そうなことは、書かない。要は、そんなの書いてて楽しいかってこと。

誰か書いても同じようなテキスト。他人が書いても同じように仕上がる普遍的な日常報告。誰が紹介しても同じような商品紹介。botかと思うようなありきたりの金太郎飴的石破けしからんブログ。散々ニュースを引用して、または海外のニュースを和訳したりして、怖いね、やばいね、どうかしてる、と最後に一言付け足すだけの国語のテストなら0点をとるだろうニュース感想文。名言名セリフを集めた類の、ネットで調べりゃすぐ出てくるものを寄せ集めて「記事」と呼んで紹介するうすら記事。そういうのを目にすると、なんでこんなことやってるんだろう、と思う。仕事でもないのに。いや、仕事だと思って耐えてるのか。

これが、創作を大切にするプラットフォーム「note」で氾濫しているのがちょっとアンチテーゼ的に見えるのが面白い。有料化や収益化という魔力が、創作という清らかな心を侵食していくようで、総体的なブラックな面白さはある。でも、AIがつくった「できあいの料理」みたいなテキストはすぐつくれるだけで、飽きるよね。書くほうも読むほうも。

窓の外はえらいことになっていて。こんな寒い日には、あったかい原稿が読みたいよね。

まあ、こちらは毒入り料理を作って、それを喜んでくれるごく一部の悪趣味人間に向けて提供してるわけだが。

今日の音楽は、100 gecs"mememe" 

mememeと言っちゃあいるが。

この原稿を、AIが書いていないと、言えるだろうか。

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