石丸伸二、おもちゃになる。
ドラマ石丸伸二は「都知事選篇」が終わり、Season2に突入した。
Season1の終わりでは、敗戦後にマイクを向けられた石丸が、ヒーローの仮面を脱ぎ、イライラしながら、まさかのブチ切れ対応。主人公は闇落ちしてしまったのか!?と、尾を引く展開で幕を閉じた。
なぜそんなことをしたのか。と、問われたところから第二話ははじまる。
「こちらがこれだけ真面目にやっているのに、腑抜けたインタビューをしているんじゃないよ。放映権を持っているなら責任感を持ちましょうよ」
と、石丸は共同会見でメディア批判をぶちまける。そこでまた、なぜそんなことをしたのか、と、問われ。
「自分の主張を前提に置きすぎてて、全部が誘導なんですよ。質問が」
と、何社かの会見後にメディア批判をぶちまける。さらに、なぜそんなことをしたのか、と、問われ。
「内心おちょくってました。『あ、ムキになっている、ムキになっている』って…(笑)」
と、テレ朝系番組で、メディア批判をぶちまける。出る番組、出る番組、「メディア批判をぶちまける、の巻」である。
んで、石丸は散々メディアを批判しといて、民放行脚の旅に出た。
読売テレビ系「そこまで言って委員会」に出て、フジテレビ系「オールナイトフジコ」に出て、TBS系「サンジャポ」に出て、テレビ朝日系列の「TVタックル」に出た。え、石丸さんってテレビタレントになりたかったの、と支持者は困惑し、不支持者もまた困惑。都知事選に出馬した中で、いちばんの売名候補者が石丸だったのか、と世を驚かせた。
現在の石丸のスタンスについて、捉え方はふたつに分かれている。
支持者の中でも信者と呼べる石丸発言を全肯定するファンは、「石丸は、あえて空気を読まないのだ」「これは戦略だ」と絶賛。大多数は「感情ぶちまけんな、それじゃ誰もついてこないぞ」「ただのガキだ」と一蹴。褒めるなら発言を深読みし、けなすなら深読みしなればいい、という裏表どちらでもお好きなほうをどうぞのダブルミーニングで、世間に「石丸観」を問いかけた。「あなたは、石丸をどう思うか」。絶妙にくだらないテーマで、この低俗さが絶妙にワイドショーに向いている。
テレビはなんで、メディア批判を繰り返す男を起用するのか。
それはメディアが、石丸という「おもちゃ」を見つけたからに他ならない。この程度の「批判」は、放送できるレベルの「かわいい批判」である。これで数字がとれるんなら安いもんさ、と関係者は思っているはず。
石丸が今、橋下徹や泉房穂や東国原路線のような、政界復帰してよ、と言われる程度の知名度UPを狙っているのはわかる。だが、民放を一周して橋本や泉、東国原とからむうち、先輩たちは見抜いちゃったんだな。「こいつは浅い。俺の足元にも及びもしないポピュリストだ」と。ついでに言うと、成田悠輔には数秒で見透かされたと思う。最後の砦は、ホリエモンである。ここに見限られたらおしまいだろう。
メディアは、橋本・泉路線で売り出しているように見せて、実際は、小室圭や野々村竜太郎や水原一平と同じような「おもちゃ」を見つけた、と思っているはず。ちょっとつっつけば賛否うずまき、こんなに世間が反応する優良物件はない。
メディアを批判しているつもりが、メディアのおもちゃにされていく。この構造は、なんか多層的でおもしろい。この関係は、マッチポンプじゃないんだな。WinWinに見えるようで、それも違う。いやあ、石丸さんの鋭い批判には参りますよ、と低頭しながら食いものにする、悪徳商法のそれだと思う。
メディアは、石丸をどんどん調子にのせて、飽きるまでおもちゃにするだろう。次のおもちゃが見つかったら、用済みである。そのとき、主人公はどうするのか。愛嬌を身につけて、テレビタレントの階段をのぼっていくのか。それとも立ち止まり、なんでタレントの階段のぼってんだ俺、と気づくのか。ちなみに、その階段をある程度のぼったところで、メディアは落とし穴と滑り台を用意する。きっと、勢いよく落ちるところまで楽しむつもりだ。
さて、きょうの音楽は、ビリー・アイリッシュ 「What Was I Made For?」。
What I was made for?
What was I made for?
と、ビリーアイリッシュは繰り返し歌っている。
メディアに出るひとは、自分を演出していきながら、ファンの期待に応えようとしながら、本来の自分を見失っていく。木村拓哉がどんどんキムタクになっていったように、石丸はさらに石丸であろうとするだろう。
なんだか、有名人って大変そうだなあ。
と、勝手に心配して、一般人は寝る。