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履きすぎてぼろぼろになったお気に入りの桐壺の代わりにそっくりな藤壺を買った話(靴)
いづれのお御時にか、
ナイキ、アディダス数多っていうほどでもないがさぶらひける中に
メルカリで買った箱もついていない手頃な靴ではあったが非常に寵愛を受けている靴がありました。
安すぎる靴は足が痛くなって結局履かなくなるので、それなりに名のあるスポーツブランドの靴が多いですが、靴同士ですから、嫉妬憎しみの感情があったのかはわかりません。
主人は天皇でもなんでもないただの凡人でしたが、いつもそればかり履き、旅行にもそれしか持っていかないので、靴底は削れ剥がれ、また時に泥の中に突っ込むなどして何度も洗われたので、だんだんと薄汚れてくたびれてきましたが、
主人はそんな姿を見てますます桐壺を寵愛し、綺麗な靴を敬遠するのでした。
色鮮やかな靴や高かった靴は、服と合わせづらかったり、なんとなく気後れして、たまに履いてもすぐ靴箱にしまってしまい、
白い靴は気を遣い、汚れそうな場所には履いていけないことと、白いTシャツに合わないのでやはり頻度が低くなり、
黒い靴は仕事等には必要ですが、冬ならまだしも夏に黒を身につけるとなんとなく気持ちが落ちるので、灰色の桐壺が非常に重宝していました。
主人は、「まだまだ履ける」「完全に靴底がはがれるまでは」「靴が汚れるような用事の時だけは」といってなかなか履くのをやめないので、桐壺は本当にくたびれてしまいました。他の靴と並ぶと、明らかにみすぼらしく、発するオーラが全然違います。
さすがに主人も可哀想になってきたので、他の靴も履いて桐壺の負担を軽減しなければと思いましたが、やはり服を着て出かける段になるとやっぱり桐壺が一番しっくりくる、とかいって桐壺を履いて行ってしまいます。
「あまり一つの靴ばかり毎日寵愛するのはよくない、一回履いたら一日休ませろ」という世間一般の忠告、
「たまには新しい靴を履いて出かけたほうが新しいことに出会える」という陰陽師的な小噺などを見聞きして悩んでいたところ、
ふと桐壺に似ている靴が目に入りました。
メーカーや形は違いましたが、色合いと配色が桐壺にそっくりでした。
インスタのアルゴリズムは恐ろしいです。
しかし乗せられて一か八かわざわざ外国から取り寄せました。
消費社会のおそろしい所です。
最初きついなと思い、またしても無駄な買い物をしたのではとひやりとした気持ちになりましたが、人工皮革かと思いきや意外と伸びて気にならなくなりました。
この靴は藤壺と呼ばれ重宝されました。
桐壺は現状まだぎりぎり生きています。
古事記的世界観であれば、桐壺を履いたときに何らかの命が生まれたりするのかもしれませんが、今のところそういうことが起こったようには見えません。
光源氏が生まれず、当然の流れとして藤壺に憧れてどうのこうのも起きようがないので、この話はこれで終わりです。
(追記
よく見たらだいぶ抉れてた桐壺)