適応障害になるまで⑩
【まさか、私が適応障害になるなんて】
2021年4月に昇進してからは、ずっと忙しい日々でした。まぁ、正確に言うと、就職してからずっと忙しい現場で働いてきたのですが、違った意味の忙しさでした。
幸い、私の部署には役職者が既に2人いたので、色々教えてもらいながら管理業務をすることができました。でも、私には他にもやらないといけないことがありました。学生指導、新人指導、プリセプターフォロー、認定看護師としての活動・・・もちろん他2人の役職者もそれぞれ抱えている仕事があり、忙しいのは分かっています。分かってはいるけれど、だんだんと自分だけが忙しいような、役割を押し付けられている感が強くなっていきました。
5月6月あたりは、毎日4~5時間の残業が当たり前になっていて、帰りが21時22時になることがザラでした。7月8月、このあたりのことはよく覚えていません。ただ、仕事が終わって家に帰ると涙が出て止まらなくなり、よく泣いていました。9月に同僚の看護師が40歳で妊娠をしました。とても仲の良い人だったのですが、私は喜べませんでした。妊娠おめでとうの気持ちより、「この人はあと数ヶ月頑張れば産休育休に入れるのかぁ、うらやましい、ずるい」そんな気持ちでした。
思い返せば、急に涙が出るとか、その辺から症状が出ていたんだと思います。おめでたいことを素直に喜べなかった時にはもう、かなり神経が参っていたんだと思います。
10月、ひどい便秘をして数日間つらい思いをしました。もともと便秘に苦しんだことはほとんどなかったので、お腹が痛すぎて「これは救急車?入院?」と頭をよぎった程でした。
この頃から、通勤電車に乗る時に動悸がしたり息苦しく感じるようになりました。瞼が痙攣することは時々あったのですが、それが以前と比べてなかなか治まらなくなりました。
私、仕事行けなくなるかも・・・
とても焦りました。直属の上司に状況を話したところ、何が負担になっているのか、何を手放せば楽になるのか聞かれました。正直、手放せるなら全部手放したかったです。でもそんなこと言えませんでした。この時は、「仕事は分担して協力してやっていこう」みたいな感じで、特に具体的な対策はなく面談は終わりました。
11月、朝起きた時の身体の重さがひどく、涙も止まらず、3回欠勤しました。3回目に欠勤した日、職場に連絡を入れた後、予約せずにすぐ診てもらえる心療内科を探しました。
心療内科の医師に「休みましょうか?」」と聞かれた時、私は泣きながら「はい、休みたいです」と言いました。
診断は自律神経失調症と適応障害
10月のひどい便秘も、自律神経の症状だっただろうと言われ、腑に落ちました。
仕事は忙しいながらも、人間関係には恵まれていたし、明らかなパワハラを受けたということもありませんでした(細かいことは色々ありましたが)。仕事を休みたい、辞めたい、看護師じゃない仕事がしたいと思ったことは何度もありますが、思っているだけで行動に移したことはありません。まさか、自分がこんな状況に置かれるとは。まさか、私が適応障害になるとは。
そして休職生活に突入したのです。