「乗り越えること」と「乗り越えないこと」の選択について考える
みなさん、こんにちは。今日は、乗り越えること、乗り越えないこと、について考えていきたいと思います。
どういうことか、といきなり思うかもしれませんが、現代社会には様々な選択肢があります。辛いことや大変なことがあったときに今後同様の苦しみをしなくてもよい方法があります。つまり、わざわざ「乗り越えなくてもよい」というものです。
一方で、その辛さと真正面から対峙し、それを「乗り越える」と意思決定する場合もあります。
今日はこのような「乗り越えること、乗り越えないこと」はどのように考え、私たちは判断していくべきなのか、について考えていきたいと思います。
なぜこのようなことを考えたいのかというと、先日以下の映画を観まして北アイルランド地域における宗教観の違いからくる民族対立に対して「乗り越えなくてはならない状況」に直面しながらも、哲学を用いた対話をし続けて一つずつ乗り越えようと努力する彼らのストーリーに胸を打たれておりました。
やはり現代社会には選択肢はあるとはいえ、直面しなければならない宿命があると思っており、その点について改めて考えたいと思った次第です。(非常に面白い映画でしたのでぜひご興味がある方は観ていただくとよいかと思います。)
乗り越えることのメリットとデメリット
まずは、乗り越えることのメリットとデメリットについて洗い出してみたいと思います。
乗り越えることのメリットは以下になります。
簡単にまとめると上記の3点かなと思っています。まず一番最初に来るのは、成長の実感でしょう。乗り越えようとするチャレンジ自体が成長に繋がります。結果的に乗り越えられなかったとしても、乗り越えようとチャレンジをしたことで得られる経験がそこにあります。
6年前に書いた私のブログですが、乗り越えようとチャレンジするだけで新しい気づきがあると思います。
また、精神力の強化や自己肯定感の高まりについては心の部分になります。
乗り越えるものは基本的にタフな課題やそこに辛さや大変さを孕んだ内容になることが多いです。そこに向き合うことは精神力の強化につながったり、仮に乗り越えられたとした時に、チャレンジする前よりも「自分は乗り越えることができるのだ」と自信(自己肯定感)が付きます。
こうした点がポジティブな要素と言えるでしょう。
一方で、デメリットについては以下になるかと思います。
これは容易に想像ができるかと思います。やはり乗り越えられるか不安ですよね。そして実際に乗り越えようとしている最中は辛くて、大変です。万が一乗り越えられない場合は、精神的な異常をきたす場合があるという点も考慮すべきところでしょう。
鬱になってしまったり、身体を壊してしまっては本末転倒です。
乗り越えないメリットとデメリット
では、今度は反対に乗り越えないメリットとデメリットについて考えていきます。
乗り越えないメリットは以下です。
以上の3点かなと思います。まず一番は、そもそも乗り越えないと選択すれば、苦労や大変な経験をすることはありません。
そして、その選択をする場合の時間をまるっとそのまま別の経験に時間を使える、という点で合理的な時間の使い方なのかもしれません。要は自分の好きな方向、自分のやりたい方向へ進んでいける心地よさが常にあるのかもしれません。
一方でデメリットは以下になるでしょう。
困難な状況を回避する、ということは、精神的なタフネスは身につきません。
心地よい方向ばかり行くことは、快楽のみを追求するということになります。そこに反骨心が芽生えるなんていうことはありません。
そして、人間としての深みが出ないという点についても考慮すべき点かと思います。
よく感動的なプレゼンテーションには、苦労話が入っていたりします。「こんなに大変な目に遭った」「こんな悲惨な経験をした」だがしかし、それをチャンスと捉えて挑戦をした結果、こんな教訓を得られた。なんていう話はよくありますよね。こうした難しい局面を経ることによって人としての深みが出る、というところはあるのかなと思います。
これからの社会においてタフな状況に直面した時に「乗り越える」べきか、否か
さて、ここまで困難な状況に直面した時に「乗り越える」選択をした場合と「乗り越えない」選択をした場合とでどのようなメリット、デメリットがあるのかを確認してきました。
みなさんは、どのように考えるでしょうか。
個人的な見解をいうと、どちらも重要なのではないかなと考えます。またもっさりした回答を持ってきたなと思うかもしれません。
ただやはりバランスが重要なのかなと思っています。
私の場合で言うとできるだけ「乗り越える」選択をしてきた人生かとは思います。ただこれは人によるかと思っています。私の場合は、楽観主義であったり、良くも悪くもポジティブに物事を考える癖があるため、できるだけ「乗り越える」挑戦をした方が結果的にベネフィットが大きいのではないか、という風に捉えています。
しかしながら、現実的に物事を考えてしまう方やリスクを思慮深く考えてしまう人にとっては、時に「乗り越えない」という選択をした方が良い場合があります。これは自分を守ることにもつながります。
全ての局面において「乗り越えない」という選択をすることは正しい?
一つの考え方として、難しい局面に対峙したときに「乗り越えない」という選択を常に取り続けたら良いという考え方が昨今では普及しているように感じます。
こんな感じで、あらゆる代替できるものが世の中には溢れています。それだけ充実した社会で、私たちはあえて苦しむ必要はあるのでしょうか。
デメリットであげましたが、「人間としての深みが出ない」とか「精神的な強さは身につかない」はそもそも必要なのでしょうか。
辛いことがあれば全てAIや何か別のものに投げてしまえば良い、そんな考えが今後も出てくることが想定されます。
正直私はその考えも一理あるな、と思っています。(個人的に賛同はしませんが)
豊かに生きることを考えるうえで判断する
ここまで様々な観点で述べてきましたが、あとは正直個々人の判断によるのかなと思っています。
私個人の話をするならば、「楽しい」や「充足感を感じる」のは、正反対にある「辛い」や「空虚感がある」という感情があるから概念として存在していると思っていまして、辛い経験をしたから楽しく感じる、空虚感があった過去があるから今充足感を感じる、みたいなことがあるのではないかなと思っています。
例えば夏休みを考えてみると、朝早起きして毎日学校へ行っていたところから解放されて夏休みだー!という嬉しさがありますが、その嬉しさも5日程度経過すれば、なんか暇だなー、やることないなー、みたいなことを感じていたものです。
これと同じ感覚かなと思っています。
ただし、現代社会は常に程よく心地よい状況を選択できる、というところまで来ています。
教育を考える立場として、これからどのような体験や経験を学校教育や人が成長する過程において提供すべきなのか、という点を考えていかなければならないです。
ぜひみなさんとこの点について話していけたらと思います。