学校跡地を核としたエリアリノベーション、最初の一歩〜もと御幸森小学校の学校びらき〜
学校再編に取り組んだ、生野区長としての5年間。ある時期、再編で悩んでメンタルやられそうな時に、サンボマスターのこの歌をやたら聴いてました。
まさに「できっこない」と思われるミッションに、チームで向き合った日々でした。
今日、再編して2年目の学校の保護者の方に会ったんですが「学校どうですか?」と尋ねたら
「こどもは友達が増えただけで、特に変わりないです」
と返ってきて、そう言えば生野区長になってすぐの頃に別の区の小中一貫校の校長に話を聞きにいった時も同じこと言われたな、と思い出しました。
「子どもが一番大人ですよ」
学校再編、本当に全国的に悩ましく避けたい問題なのは変わらないと思いますし、それぞれの立場の想いもたくさん受け止めてきました。
その上で、子どもたちに友達を作り、教職員に学び合う環境を整えて授業の質を上げることを目指してきたので「友達が増えただけ」というシンプルな答えが胸に響きます。
さて、昨日は「閉校した小学校を再びまちに開く」イベントがあり、行ってきました。
もと御幸森小学校の跡地の活用事業者である株式会社RETOWN・NPO法人多文化共生ふらっとによる「いくの多文化クロッシングフェス」と「いくの万国夜市」が開かれました。
生野の魅力である「ごちゃまぜ」を見える化したイベントで、昼間に中に入ってひと目「地元の人もよその人も、多世代も多文化の人も」楽しそうに集まってる姿に泣きそうになりました。
生野区長になった時「学校再編をして、跡地をできる限り残して活用する」という計画はあれど、大阪市には学校跡地を定期借地して公民連携で活用した前例がなく、調査や構想づくりからやらねばなりませんでした。
また「閉校してから議論を始める」のではなく「小学校の機能としては閉校しても、そこから『みんなの学校』としてできるだけ間を空けずに再度、学校開きをすることで町の衰退を避けるべき」と判断したことで、めちゃくちゃ忙しい5年間になりました。
再編をやりながら「地域の未来のために」と判断された地域から跡地検討会議が個別に立ち上がり、並行して議論を進めました。また、区内外の人たちが広く関わることで可能性を広げようと、全体的なアイデア出しの会議やまちづくりの講演会も開きました。
「生野区学校跡地を核としたまちづくり構想」のプロセスの中で、委託事業者であるセミコロンの清水義次さん、嶋田洋平さん、林厚見さん、大島芳彦さんを軸に防災では佐々木晶二さん、行政職員の頭のネジをゆるめる(壊す?)ために講師できてくださった岡崎正信さん、木下斉さん、まち再生の実践者である西村浩さん、明石卓巳さん、吉野智和さんなど全国で活躍する「エリアリノベーション」の専門家たちに「生野は可能性しかない」と励ましてもらい、「まちぐるみ教育・みんなの学校」というコンセプトをいただいて進めてきました。
特に、この絵が出てきた時に「いや、こんなん無理やろ」と思った職員も複数いたのですが、御幸森小学校の跡地のにぎわいを見て(平時には学習支援やオフィスとしても稼働しているのも見に行ってます)、歴代担当者がビール片手に「あの会議もあの苦労も、なんか報われますね……」としみじみ話してました。
だって、このイラスト通り、オンデマンドバスまで走ってるんですよ!
もと生野小学校と林寺小学校にはバカロレア認定校のインターナショナルスクールが、もと生野南小学校には通信制の高校と日本語学校を備える岡崎学園が活用事業者に決まり、新しくできた生野未来学園や田島南小中一貫校とも連携しつつ、地域にも開かれた学校として再生します。
「まちぐるみ教育・みんなの学校」がまさに現実になろうとしています。私も、御幸森小学校跡地でドローンの講習が受けられると知ったので、ライセンスを取りに習いに行くつもりです。地域の大人も子どもも学ぶ機会が増えます。
事業者の決定を聞く度に、胸が熱くなります。
活用事業者側や地域から見たら、行政がイケてない、がんばってないと見えた場面もあるかもしれません。
しかし構想の実現に向けて、前例が無いゆえに局のあちこちの部署と起きる摩擦を調整しながら、深夜まで事業者公募の資料を作る職員や暑い夏に校舎を貸し出す手前の工事の下準備に学校や各局を走り回り、まちの未来のために必死で動いた「チームいくの」がいたことと、現在進行形でまだ残る跡地の課題に向き合っていることは、知っていただけると嬉しいです。
もちろん、行政だけでは当然やりきれることではありません。「いくの多文化クロッシングフェス」「いくの万国夜市」は、生野のまちの圧倒的なポテンシャルを感じる場となりました。
区内の飲食店が出店し、学校菜園を農園に変えて活動する人たちがそこでできた野菜を売り、あの人この人のまちづくりに関わる地域や団体のみなさん、ものづくり企業、屋台まで出してた新巽中学の生徒や卒業生ががんばっている姿や、母国の歌にノリノリになる外国から来た若者たち、スタッフの胸に輝く(私にはそう見えた)「やさしい日本語」の黄色いバッジと、私の涙腺を揺さぶる一日となりました。
しんどい仕事を5年間重ねてきたせいか、5月ぐらいには身体のあちこちに不調が出て「退職すべきだったかな……」とか悩んでたんですが、この人が残した仕事があるのでやらねばなりません。
港区も万博に向けて課題も期待も山盛り。
ラップはやらんけど気合い入れて「みなとの下剋上」=「万博の時に日本で『港区』と言えば大阪市港区のことと世界に認識させる」を実現しようと生野のエネルギーに触れて気合が入りました。
でも最後に言わせて!
スージー、ええとこ持っていってんな!
楽しそうでなんかムカつくわ〜
……と、ご本人にも伝えました(笑)。
お互いの区の継続課題は協力もしながらしっかりやっていきます。
まずは最初の一歩、「居場所と持ち場」が生野区に住む外国の人も含めた多様な人にあるのを実感した場でした。関わってくださった関係者のみなさん、ありがとうございました。
そしてこれからも、生野区をよろしくお願いします。
港区でも、今日からまた。
「できっこないをやらなくちゃ」!