映画『Mother』の感想と、その続き。
区長室にレクに来たある職員が「『Mother』って映画、めちゃくちゃリアルですよ」と、教えてくれた。
その言葉が無ければ、私はこの映画を観に行かなかった。無理に時間を作って観に行き、打ちのめされた。
うんざりするほど、リアルだった。落ち込んで眠り、体力を回復してから、キーボードに向かってこの原稿を書いて、インスタに上げた。
《以下、インスタに書いた感想の転載》
『Mother』を観た後、疲れ切って早く寝た。小3の時、「明日引っ越すから」と言われ、夜逃げの荷物を詰めた日を思い出す。奈良の山奥の旅館に1ヵ月ほどいたが、誰も見つけてくれなかった。短い期間だったが、あの時、私たち姉妹は「居所不明児」だった。
そこから家庭が社会に復帰して、私たちが大人になれたのは、分岐点における出会いの差に過ぎない。
今、仕事の上でも社会的養護に関わっているが、秋子のようなふわふわした親はたくさんいる。
途中、「こどものために働いて飯食わせて、20歳まで育てるのが母親の仕事だろうが!」と怒鳴る男がいた。
秋子の徹底しただらしなさにイライラしていた観客にとっては、一瞬、善人に見える。長澤まさみの演技力に持っていかれそうになるところを踏みとどまり、いやいや!その「母性に全部押し付ける」ことが無理なんだってば!と怒鳴り返したくなった。
私を産んだ人は、ふわふわしたまま、10か月の私を置き、3歳の姉を連れて出て、それっきり。20歳の時に姉に一回だけ再会して、種違いの妹や弟が複数人いると聞いた。当時は急に現れた、自分と同じ目をした姉に動揺しかなかった。今は、実母が親戚や行政につながれる人でありますようにと、ただ祈る。
行政で児童養護やDV・ひとり親支援に関わる人は観た方がいい。「そこ!」「今行けよ今!」と悶絶するタイミングがある。担当者の当たりはずれが無いように努めていても、経験値や相性もあってうまくいかないことがある。秋子のように、支援を拒むタイプの人は余計に踏み込みづらい。
チームで動く、関係機関や他の自治体との情報共有、行政で届かない範囲を官民連携でつなぐ……この親子を救えるチャンスは、たくさんあった。
17歳で祖父母を殺した少年事件を起点に、作られた映画。結末を知っているだけに、「その時」に向かっていく緊張感に疲労する。子役も少年役も、何も見ていないような眼差しをしている。パンフレットで、子役の男の子が出番待ちでスタッフと笑っている写真を見て、安心した。それほどに、虚ろだった。
母親に支配され、善悪の判断がぼんやりし、気持ちを言語化できない。感情がありそうで、見せない。学校教育の大切さを、思いがけず見せつけられる。公教育は、セーフティネットだ。知人の学校関係者にも鑑賞を勧めた。
劇場の外に出て、家族に頼まれた豚まんを買いに店に寄る。10円玉が財布からつまみ出せない。手が震えっぱなしだった。
何とか自分の家族を持てた幸運の方が、創作物じゃないか。私も、秋子だったかもしれない。そして、今も周平の人生を生きている子どもたちがいる。混乱したまま、夕べは寝てしまった。
長澤まさみ、2日前に観たキュートな女性詐欺師と真逆のような、相通じるような。男に抱かれる前の、目の泳がせ方。体に芯が通ってない感じと、支援者に対する毛の逆立て方の振り幅が、猫のようだ。ラストショットの、ゆらぐ口元。スクリーンで観る、値打ちがある。
《転載終了》
公的な立場もあるのに重い内容だが、小学生の頃から「書くこと」によって溺れないように生きてきた。そして、吐き出さずにはいられないほど、この映画には吸引力があった。
と、ベタな感じで、この映画の感想を書いて終わるはずだった。
数日後。
インスタのDMに、メッセージの通知が灯っていた。公的な立場のせいで誹謗中傷や要求を送られがちであり、知らない人からのDMには、基本的に答えない。そもそも、気づかないことも多い。その日はたまたま、何気なく開いてしまった。
……「開いてしまった」としか、言いようがない。
「インスタ見ています。20歳の時に1度だけ会った…姉です。
あの時は 突然で(今も)ごめんね。」
見ると、7ヵ月前にもメッセージがあった。気づかなかっただけだが、結果的には彼女からのメッセージを無視したことになる。つながるのを諦めた頃に、映画の感想に姉のエピソードが出てきたことで、もう一度送ってくれたのだった。
……少し迷って、返した。
「つながれて嬉しい気持ちと、これ以上知るのが怖い気持ちもあります。」
姉と私だけのことなら、そこまで躊躇はしない。少なくとも、一度は私に会いたいとやってきてくれたから。しかし、彼女の側には「その人」がいる。
娘が10ヵ月の時。
私を親と認めてしがみついてくる姿に「これを置いていったんか」と泣いた。
ただ、娘が3歳になると、受け止め方が変わった。言葉がわかり、記憶が芽生え、親子として重ねた3年の歳月がある。一人しか連れて行けなかったとして、分別のわからない赤ん坊とどちらを連れていくか。わからないな、と思えるようになった。
『Mother』の原案に当たる『誰もボクを見ていない』(山寺香/ポプラ社)の中に、少年が母親から親戚の悪口を吹きこまれていて、それを信じていた、というエピソードがある。
実母が私を置いて出て行ってから、46年以上。いい話を一度も聞いたことが無かった。そして、一度も会いに来なかった、探しにも来なかったという事実をもって、頑なにその存在を否定し続けてきた。
今も。姉とポツリ、ポツリ、と近況を知らせるDMを送り合いながらも、お互いの「その人」については触れられないままでいる。
甥っ子と姪っ子の存在を確認し、幸せな日々を送っていることを喜び合う。その道のりが平坦でなかったことは、想像できる。
『Mother』もひとりで観た、という報告の後に、こんな言葉があった。
「……しなくて良い経験を 少しでも減らせるように……伝えられる事を探しています。」
私も同じ気持ちで、彼女の許可を得て、1つの映画が呼び寄せた縁について書いている。伝えるために。
私たちは、一緒に育つべきだった。しなくてもよい経験を、大人たちに押しつけられた。その事実を、再会の喜びでごまかされるわけにはいかない。
姉妹として、幼少期には転げまわって遊び、思春期にはケンカもし、恋バナをし、人生の分岐点を励まし合い、家族としてアルバムに記憶を重ねるはずだったのだ。
姉を奪われたことで、私は長女として育った。姉は、ずっと長女だった。
「えらいね、とか、いい子って言われると、いい子でないといけなくなる」
重かったね、と共感する。そして、今も重いのかもしれない。聞かないけれど。
47年前の今日、私は命をもらった。
出産が痛いこと、妊娠期間も産後も苦しいこと、メンタルも不安定になること、夜泣きに悩まされること、一通り経験した。
痛かったですよね。
少しは、可愛いと思ってくれましたか。
……聞かないけれど。