『花束みたいな恋をした』の15年後。
※ネタバレありなので、未見の方はご注意を。
この映画を観て帰ってきたゆる夫(山口家における夫のニックネーム。「ゆるいオット」なので「ゆるオット」と読む)が、休日にパソコンに向かって仕事をしているヨメのところに寄ってきて、10年ぶりぐらいに後ろからそっと腕を回してきた。正直、ビビった。
「どうしたん?」
「映画観て、大事にせなあかん、と思ったから」
なだめるようにその腕をぽんぽん、と叩いて「今さらやな」と軽く返し、腕をそっと外した。そして再び、メールの文面に頭を切り替えた。
それが『花束みたいな恋をした』の主人公2人(麦:菅田将暉/絹:有村架純)が「選ばなかった未来」だとわかるのは、1週間後に私もその映画を観てからのこと。
帰ってゆる夫に聴く。
「あの映画を観て、なんで『大事にせなあかん』なんて言いに来たん?」
「ヨメがあの映画観たら、離婚されるなと思ったから」
「いやもうホンマ、私は完全に麦サイドで観てたからね」
「オレは『絹ちゃんがんばれ!』しかないな」
私たちも彼らのように、結婚前に一緒に暮らし始めた。『アルジャーノンに花束を』が本棚に2冊並んだ。恥ずっ!当時の自分たち!!と思い起こす。絹と麦の部屋に黒猫がいたのも、個人的に涙腺破壊ポイントだった。
私たちの間にも、黒猫がいた。
彼らは『耳をすませば』から名前をつけていたが、私は『ニュー・シネマ・パラダイス』から猫の名前をつけた。あかん、書くほどに恥ずかしい。
そして、麦が力説していた「恋愛は終わっても家族になればいい」を、地で行く人生を紡いでいる。それは、彼らが過ごす妙に穏やかな「別れた後の3ヶ月」が15年続いているようなものと言ってもいい。
クドカンの新作ドラマすら毎週観られない多忙なヨメと、Netflixでアメリカの連ドラを複数追いかけていられるゆる夫と。
仕事場で深夜、パズドラでストレスを解消する麦の姿に一番泣いた。私も一時期、アナ雪のスマホゲームの氷が割れる音で正気を保っていた。
主人公たちが、そして彼らを引き継ぐかのような若いカップルが。お互いが読んでいる本を交換して見せ合うシーンがある。家に帰り「今読んでる本を出してみてよ」とお互いに交換した。
じゃん。
……笑ってしまった。
私たちは20年近い歳月を経て、呆れるほど『アルジャーノンに花束を』から遠いところにいる。それでも、その事実を同じ映画を観て笑っていられる程度にはつながっている。「子育て」を共通言語に変えて。
ちょっとひねった料理を作ると「アイデアですねぇ、静香さん」(by『王様のレストラン』三谷幸喜)と、会話に自然とぶっこんでくる。昔は笑えたのに、イラっとさせられる。そして、日曜の夕方に「映画観てくるわ」と母子をほっぽって出て行ったゆる夫に、麦のセリフを全力で叫びたい。
「いつまで学生気分でいるんだよ!」
長い小説やマンガを読んでる暇もなく、毎週の連ドラすら消化できず。それでも責任ある人生は続いていく。
花束を枯れさせないために彼らが選んだ選択は、たぶん、間違ってない。だからと言って、息子にねだられて「桃太郎電鉄」に家族で巻き込まれる日常も、間違いとは思えない。
絹の抱いていた予感を、私も知っている。
「はじまりは終わりのはじまり」。
恋愛は、必ず終わる。
ハードルを下げて家族になるか、花束のまま終わらせるか。
恋の儚さを、五感で記憶の宝箱に一つひとつしまっておくために。
彼らは幸せな気分のままで、別れを選ぶ。
その選択肢が残っている彼らを、少しだけうらやましく思いながら、いや待てよ、もう一つの選択肢があると思い直す。
「I think this is the beginning of a beautiful friendship.」
(これは、私たちの美しい友情のはじまりだ。)
先日観た『ハーフ・オブ・イット 面白いのはこれから』に使われた『カサブランカ』の名セリフ。男女の関係を超えて、麦と絹にそんな未来があってもいいと思うのだった。
ゆる夫のこの映画の感想はこちら。
いやー、ズレてるね、ウチの絹ちゃんは。
さて、仕事しごと。