コロナにかかって思ったこと。
こんんばんは。EduCussionのしょうごです。
タイトルにもありますが、先日コロナに感染し自宅療養中です。
まさか自分が、、と言うよりかは、順番が回ってきたなーと言う感じで、その後の対応もそこまで手間取ることもなかったです。
症状は1日目は熱も高くなり結構しんどかったのですが、2日目からは安定してきて、普通に生活できるレベルにはなってきました。
10日間は自宅謹慎で、仕事もしなくて良いのでかなり時間があります。
長い時間の中で考えたことをいくつかまとめてみます。
僕が居なくても世界は回る
コロナに感染した初日と2日目は僕が仕事で抱えていたタスクを、関係する他の人たちにお願いしてまわっていました。
その際に同僚の1人にこんなチャットをもらいました。
「もうそれ〇〇さんから聞いてるよ!休んで!チャットしまって!」
あー、僕が何かしなくても、本当に大事なことなら、誰かが代わりにやってくれるものなんだなー、と、そう気付きました。
僕1人が欠けた所で、大きな流れを止まらせる必要はないし、また止まるようにもできてないんだなと。
そう思うとなんだかフッと肩から荷が降りたような気持ちになりました。
1日って意外と長かったんだなぁ
1日って意外と長かったんだなぁと思いました。
僕が今勤めている会社は、自宅謹慎中に少しでも仕事をしている所が見つかればブチギレられるくらいのホワイト企業なので、この謹慎中は余り仕事はしていません。
(今月末までに終わらせなくちゃいけないものがあり、それは隠れてやってます笑)
1日、8.5時間拘束されていた時間が、突然空く。
しかも1日目は結構しんどかったので何も手につかずベッドの上でぼーっとしているだけ。
何もやらない(できない)時間がずーーっと続く。
コロナにかかるまでは分単位でやらなきゃいけないことや、やりたいことをスケジュールに設定してたのに、今ではそのどれもに手をつけていない。
これまで「限られた時間」をどう効率的に分割して使いこなすか、を考えていたのに、いきなり悠久に続く永遠に直面した気持ちでした。
その時にふと「あ、時間って意外とあるんだな。」ってそう感じました。
とはいえ何かやってないと腐る
自宅療養!と言われても、ずーっとベッドの上でぼーっとしていると、なんだか人の大事な所が腐っていくような感覚があります。
療養中、僕が感染した噂を聞きつけた仲の良い友人は「何か必要であれば言って!持ってくから!!」と言ってくれたり、デリバリーでご飯を注文して配達員の方が持ってきてくれたりしてます。
友達の優しさや、便利な世の中に感謝の気持ちが湧くと同時に、僕が社会にお世話になってる分、僕は一体何を返せているだろうかと、そう考えるようになります。
もちろん、ウイルスを移すわけにもいかないので直接人に接触するようなことはできませんが、なんだか自分も手を動かさなくてはいけない気持ちになってきます。
もしかしたら、人の世はこんな気持ちで回ってるのかもしれないな、とそう思いました。
だいぶ取り止めもない文章になってしまいましたが、何か面白いと感じられるような内容はありましたでしょうか?
暇ができると色々なことを思い出したり、考えたりします。
良い機会と思ってゆっくり休みつつ、謹慎明けにどうやって生きてこうかもゆっくり考えてみたいと思います。
それでは本日はこの辺で。
ここまで読んでいただきありがとうございます!