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教育業界(特に受験業界)に従事する人の本音をどうしても書きたくなった
初めまして。教育業界で働く人です。このnoteでは、普段仕事では表立って言えないことを正直ベースで書いていこうと思います。
主観的かつ、匿名という無責任極まりない文章になってしまうかと思いますので、批判なども甘んじて受け入れていこうと思っております。
大前提として、教育に正解というものはありません。ですので、私の意見とは相対する方、また私の意見は視野の外にあるという方も多いと思います。
しかし、そんな方々の第3者的な視点で私の主観的意見を一読いただけるとすれば、このnoteを書く意味があるかと思います。拙い文章ですが、ぜひお時間のある際にご一読ください。
noteを書こうと思った経緯
いきなりチキンなことを吐露してしまいますが、仕事の公式な場所で私の正直ベースなことを吐き出すことには些かリスクを感じています。
「理想を持って教育業界に入ってきたのでは?」「リスクも取らずに教育業界を変えようとしているの?」と早くも針のむしろ状態になってしまいそうですが、リスクと生活のバランスを取りながら教育を変えるのは、表の私に任せたいと思います。
しかし、上記の方法では時間がかかる上に、理想と現実のギャップや壁が大きすぎて、私の心身の健康上よろしくありません。よって、このような場で本音を垂れ流せば、私のストレスも軽減され、(もしかしたら)届く人には届くので一石二鳥なのでは?という何とも浅はかな考えでアカウントを作成したわけです。
もともと公式な仕事の文章を書く際は、一応推敲を重ねる必要があるので、一つの情報を発信するのに時間も労力もかかってしまいます。
その点noteは匿名性があるので、ざっくばらんに私の考えを発信することができる、というのもnoteを書こうと思った理由の一つです。
ですので、皆様も肩の力を抜いてお付き合いください。
私という人間のバックグラウンド
簡単なプロフィールはnoteのトップに載せていますが、身バレに気をつけながらこちらでも少し私という人間について書いていこうかと思います。
「いや、興味ないよ・・・」と思われるかもしれませんが、教育というのは教える側も受け取る側もそれまでのバックグラウンドが多分に影響する分野ですので、最初の記事で書いておこうと思います。
幼少期〜中学入学
私の地元は人口5万人規模の市で、お世辞にも中流階級とは言えないような家庭で育ちました。
ただ、親のお金の使い方が破天荒だっただけの貧困だったので、周りの人からは中流階級程度には見えていたかもしれません。
その中でも、特に習い事とアートに関しては、この家のどこにそんなお金があるのか、というくらいお金がかかっていました。
習い事はピアノ、習字、絵画、地域のスポーツクラブ、知育教室(勉強ではない)など週に5日は習い事が入っていました。
今思うとなぜこの習い事の中に学習塾が存在していなかったのか不思議です。
中学校〜高校入学
中学校は地元の公立中学校に入学しました。そもそも地方では大都会と違って中学入試という概念がほとんどありません。
普通のレベルの中学校で通塾の経験もなく、そもそも小学校の頃は宿題忘れ常習犯だった私は、定期テストという壁に見事に挫折してしまいます。
そもそも、当時の私は割り算の筆算や分数の和差算すらできないくらいの体たらくでした。そのままズルズルと勉強をしなくなり、中1の学年末テストでは小文字のabc・・・が書けずに親が絶望していた記憶があります。
もちろん、通知表も散々で国語、数学、英語の主要3科目の評定は10段階で全て3でした(進学校ではなく、地方公立中学校の話です)。
これはまずいということで、やっとのことで塾に通い始めたのは中1の冬になってからでした。
塾生活に関しては詳細は省略しますが、円形脱毛症になるほど勉強し、無事私立の進学校に合格しました。
高校〜大学合格
高校は3年間男子寮の生活で、当時は「なんという監獄に来てしまったんだ・・・」という気持ちでした。高1から毎日の強制的な学習時間(休憩含め3時間)が設けられ、長期休みも補修という名の全員強制参加授業により夏休みでさえも2週間しかない、という環境でした。
私の勉強スタイルは完全なパワー系。分からなければ覚えれば良いじゃない、というストロングスタイルだったため、定期テストに関しては学年上位の成績を取っていました。しかし模試になると全く点が取れない、言い換えれば勉強時間は多いのに結果が出ないという最悪の勉強法を実践していたことになります。
もちろん結果は東大現役不合格。浪人することになります。
しかし、この浪人初期に勉強法を見直したことにより、浪人時代の勉強時間は現役時の半分くらいだったにも関わらず、成績は急上昇しました。
現役時代は最高がD判定でしたが、浪人時代は最初の模試からA判定しか出ていなかったのを今でも強烈に覚えています。
この頃の経験が今の教育業界に転身するきっかけ一つになっていることは言うまでもありません。
大学〜サラリーマン
一年の浪人生活を経て東京大学に無事入学した私は、これまでの青春を取り戻すかの如く遊びまくりました。そりゃ、片田舎から華の大都会東京に出てきたわけですから、浮かれる気持ちしかありませんでした。
しかし、大学3年生頃になってくると一時的に周りの雰囲気が変化してきます。そう、就職活動、インターンです。
これは別の記事で詳しく述べようと思っていますが、結論から言うと私はこの就職活動において、情報格差をまざまざと見せつけられました。
この情報格差は都会と地方、親のリテラシーなど、さまざまな要因が考えられます。
結果的に私はいわゆる優良企業に就職することができましたが、情報があればもっと可能性が広がっていたのではないか、と今でも思います。
教育業界への転身
私の教育業界に身を投じた理由の一つに、学歴持ちによくある「成功体験」というよくわからない自信があったことは言うまでもありません。
しかし、それ以外にもいくつか理由があります。
近年の過保護すぎる教育に対する危機感、レベルの低すぎる講師の多さ、
、リテラシーの低い保護者の存在、など枚挙にいとまがありません。
転身した当初は、これからの日本のためにこれらの課題を解決する!と意気込んでいたわけですが(もちろん今でも意気込んでいます)、やはりそんなに簡単なものではありませんでした。
今後、このnoteを通して様々な情報を本音ベースで発信しようと思っておりますので、「あー、またあいつなんか言ってるよ」という感じでお付き合いください。