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No.1 自分は自分の主人公-東井義雄『子どもを活かす力』より①-

2025年1月24日(金)

東井先生はたくさんの著書を出されている。
そして,たくさんの詩が遺されている。
東井先生の遺された言葉や詩が現代の私たちにも響くものが多い。
そこには,東井先生の人生観や教育観が表れている。

著書を手がかりに東井先生の教育観を見てみよう。
今回は次の著書から探ってみる。

東井先生の多くの著書はなかなか手に入らない。
ただ,多くの図書館に所蔵されていたり,国立国会図書館のデジタルコレクションで読むことができる。

東井義雄(1972)『子どもを活かす力』柏樹社

東井先生が定年退職を迎える年に発刊されたものである。
そのため,退職にあたって,勤務校の先生や子どもたちへの感謝の言葉から始まっている。

その中で,東井義雄先生の「自分は自分の主人公」という詩が紹介されている。背景として,退職にあたり,保護者の方に地区の子どものためにことばを遺してほしいと頼まれ,東井先生が記されたものだそうである。
この詩の一節が,東井義雄記念館で色紙として購入することができる。

私は研究室に飾っています

当時,多くの子どもが命を落とすニュースが取り上げられていたこともあり,それを憂いたこともあって,このようなメッセージが生まれたのだろう。

「自分は自分の主人公」「自分をつくっていく責任者」という言葉にあるように,「自分で自分をつくる」ことが大切であることを伝えている。
著書の中でも,次のように記している。

近頃の少年少女たちは,あまりにも合理主義的な育てられ方をされ過ぎているので,「見えない世界を見る目」を失ってしまっており,「見える世界」の自分だけを「自分」だと思い込んでしまい,「自分」で「自分」を粗末に扱ってしまうことにもなっているのではないでしょうか。

東井義雄(1972)『子どもを活かす力』柏樹社,p.38

東井先生の教育の姿を見ていく中で,しかっり子どもを育てようとしていることがわかる。つまり,子どもがこれからの時代をしっかり生きていくための力を付けようとしている。
一方で,子どもの姿に学ぼうとする姿勢もある。

著書において,東井先生のあるエピソードが紹介されている。
このエピソードは,親友の校長先生から個人文集が送られてきたことがきっかけではじめる。その文集の名前が「燼(もえさし)」となっていたことで,東井自身の人生の残された時間が少ないこと,そして,改めて生きることを見つめ直している。
そこで東井先生の次のような朝の行動の変化が記されている。

 それ以後,毎朝,「今が本番,今日が本番,今年こそが本番」と自分に言い聞かせながら出勤するのが例となりました。これに,
「あすがある,あさってがあると思っている間は,なんにもありはしない。かんじんの『今』さえないんだから」
とつけ加えて自らを戒めたりをすようにもなりました。
 学校の玄関に着きますと,イギリスの詩人ワーズ・ワースの詩の一節を字のうまい先生に書いてもらって掲げているのを黙読します。
「子どもこそはおとなの父ぞ」
と書いてあるのです。預かっている六百の子どもの中から,次の八鹿町,次の日本,二十一世紀を創っていくおとなが生まれてくるんだということを,黙読しながら自分に言い聞かせます。
校長室にはいります。そこには,詩人高村光太郎の書(写真版ですけど)を掲げております。黙読します。
「いくらまわされても 針は 天極を指す」
と書かれています。私の「天極」は子どもです。きょうもいろいろ雑事がいっぱいおしかけてきて,私をふりまわすことでしょう。けれども,どんなときにも,忘れたり狂わされたりしてはならないのは子どもです。私は黙読しながら,そのことを自分の言い聞かせます。
それから職員室に行きます。
「きょうも,子どもたちがいろいろお世話になります。よろしくお願いします。」
という思いで「おはようございます」と,朝のあいさつをします。
用務員のおばさんの部屋に行きます。
「きょうも子どもたちが,いろいろおせわになります。よろしくお願いします。」
という思いで「おはようございます」を言います。
(以下略)

東井義雄(1972)『子どもを活かす力』柏樹社,p.21-23

「今が本番だ」と言い聞かせ,「今」を大切にした生き方をしようとしていることがわかる。

そして,「預かっている六百の子どもの中から,次の八鹿町,次の日本,二十一世紀を創っていくおとなが生まれてくるんだ」という言葉からは,「村を育てる教育」の源泉を伺うことができる。

また,「きょうもいろいろ雑事がいっぱいおしかけてきて,私をふりまわすことでしょう。けれども,どんなときにも,忘れたり狂わされたりしてはならないのは子ども」の言葉も心に響くものである。
学校現場にいると,いろんなことが起こるため,どうしても,学校や教師の都合が優先されてしまうことがある。それではいけないと戒めているのだろう。

このように,東井先生の言葉や詩は,教師や教育の「本質」を考えるきっかけを与えてくれる。

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