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No.2 自分の未熟さに気付く-東井義雄『子どもを活かす力』より②-

2025年2月1日(日)

では,東井先生の著書を手がかりに教育観をみてみよう。
前回と同じ著書を取り上げます。
東井先生は,すぐにカッとなる性格だったようです。
その東井先生のエピソードから学びましょう!

東井義雄(1972)『子どもを活かす力』柏樹社

思わずカッとなる私

東井先生の体験と子どもから学ぶ姿勢が読み取れます。
私自身も,教師になりたての際,子どもをよく怒ってしまっていました。
今考えても,叱ってはおらず,感情に任せて怒っていたと感じます。
今でも,当時のことを不意に思い出すことがあり,その度に反省をしています。
そんな自分とも重なる東井先生の姿が記されていました。

「思わずカッとなる」というのは,人間が単純だということです。苦労が足りないのです。

p.85

「思わずカッとなる」私なんかにとって,大切なのは「愛」よりも,相手のほんとうの姿をその内面までごっそり「わかる」ことのできる知恵かもしれないと思っています。
こういう点,小説家なんかが,何かの事件や事象を手がかりにしながら,その背後にかくれているものを,わかりとろうとする,あの仕方を,教師も親もが学ぶ必要があるのではないでしょうか。

p.90

東井先生の言う通りですね。
「思わずカッとなる」のは,未熟さを露呈しているのです。
そして,その怒りを納めることができなくなるのです。
どんどんヒートアップしてしまう。
情けない話です。

怒るべきこととそうでないこと

こんなエピソードが記されていました。
ある日,村のおじさんたちが学校にどなり込んできたそうです。
村のおじさんたちは,かぼちゃを育てていたのですが,
ある子ども,どれにもこれにも目や鼻や口を,
釘かなんかで書き込んでいたようなのです。
その訴えを聞いた東井先生は,
そのいたずらをした子どもを𠮟りつけたそうです。
その様子を校長先生が見ておられたようで,
子どもがいなくなってから次のようにおっしゃったそうです。

「東井先生よ。子どもというのは,かぼちゃが生きていること,知っとんのやな。」
「かぼちゃに,目を書く,鼻を書く,口を書く。かぼちゃが大きくなるにつれて,かぼちゃが目をむく,鼻をむく,口をあける。子どもはかぼちゃが生きとるちゅうこと,知っとんやな。東井先生,来年は学校の運動場の土手いっぱいにかぼちゃを作って,子どもに目を書いたり,鼻を書いたりさせてやろうや。」

pp.98-99

子どものいたずらに対しても,このような見方ができることがすごいです。
さらに,こんなエピソードも記されていました。
掃除中に,やんちゃな子が廊下を走っていて,バケツをひっくり返してしまったそうです。東井先生は,ありったけの声で「こらー」とどなりつけてしまっていたそうです。小さい学校だったこともあり,学校中のガラス窓がピリピリッと地震のように揺れ動き,校舎内にある校長住宅の奥さんがびっくりしてとび出されるということがあったそうです。
その後,職員室に入っていくと,校長先生から次のように言われたそうです。

「東井先生よ。子どもがバケツをひっくり返したら,あんな大きな声出さならんかいや?あんな大きな声を出すほどの大問題かいや?子どものこれからの長い人生が滅茶々々にでもなるんかいや?」

p.100

その通りです。
自分もこのような経験があるため,この校長先生の言葉が身に沁みます。
そして,恥ずかしくなります。

学校現場において,子どもを諭すこと,子どもを叱ることは当然必要です。
法律に違反すること,命に関わること,誰かを傷つけることなどがあれば,きちんと指導しなくてはなりません。
時には,強く叱る場面もあります
ただ,一方で,子どものすべてを包容することや,子どもの過ちを許すことも非常に大切です。

改めて,教師は子どもの気付かされることが多いです。

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