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自己紹介 初めてのNote

初めまして!小田祐路(おだゆうろ)と申します!
深夜に寝付けず勢いに任せてこれを書いています。(明日1限なのに…)
1発目なので自己紹介とこれまでの人生、現在の思いについて赤裸々に書いてみようと思います。(拙い文章ですみません)
長いですけど最後までお付き合いいただけると幸いです。


自己紹介

名前:小田祐路(おだゆうろ)
性別:男
略歴:愛知県立の高校卒業後現在の愛知大学経営学部経営学科に進学
年齢:22歳(大学4年)
現目標:教員が輝くことができる世界を創造する
最終目標:日本一面白い校長先生になる

これまでの人生

今までの人生を振り返る前に、おそらく気になったであろう名前についてです。笑

祐路とかいて「ゆうろ」と読みます。たいてい初見で漢字を見ると「ゆうじ」と間違われます笑
織田裕二さんがいるから余計そう読みやすいんですかね笑
「ゆうろ」の名前の由来はあのヨーロッパ通貨の「ユーロ」から来ています。ちょうど生まれ年の2002年にユーロ通貨が開通したのでそこからとったそうです。ですが両親はバリバリの日本人!ヨーロッパには縁もゆかりもございません笑

ここまでが毎度自己紹介のお決まりのパターン笑
実はこの名前すごく気に入っていて、この名前をつけてくれた両親には感謝しかないです!


[先生を目指した原点] 小学校から高校まで


そんなゆうろ君ですが、小学校までは普通のサッカーが好きで毎日外で遊んでいるごく普通なそこら辺にいる元気小僧でした。

しかし中学生になり、2年生にもなると思春期というものを迎え、だいぶ心やさぐれていました。
人間関係、勉強面など様々な理由によって苦しんでいたと思います。

そんなとき僕を救ってくれたのは、部活の顧問の先生でした。親身に寄り添い、無茶苦茶だった僕の人生に一筋の光を差してくれたのです。
そしてある日、文化祭の準備をしているその先生の姿を見たとき、「なんてかっこいいんだ!」「こんな大人になりたい」と強く思い、その瞬間から先生になる夢を本気で追い始めました。


中学生の頃から社会(特に歴史)が好きだったので中学2年生の頃から中学社会科の先生を目指し始めました。
高校進学のタイミングで運よく先生や教育に興味がある生徒が集まる「教育コース」というクラスが新設される学校があることを知り、迷わず出願。無事合格することができました。

高校では教育コース第1期生として、同じ夢を持つ仲間と色々な経験をしました。東日本大震災跡地に赴いたり、小学校の挨拶運動参加や運動会設営、夏休みの小学生宿題サポート、教育大学連携授業、地域の大学教授の特別講義、台湾修学旅行、グループ研究、個人研究などなど。

3年間で数えきれないほどの学びを得ながら、教師になる夢を胸に高校を卒業しました。

本当はそのまま愛知教育大学に行きたかったものの、叶わず。
そこで、中学社会科の教員免許が取れ、さらに経営にも興味を持ち始めていた僕にとって最適な選択肢として、現在の愛知大学への進学を決めました。


ターニングポイントとなる大学生活

大学に入り、教職課程の講義を受ける中で、教師という仕事の現実を突きつけられました。それは、高校時代に抱いていた甘美な理想とは程遠く、「過酷な労働時間」「モンスターペアレンツへの対応」、「教員不足」など、厳しい現実を伴うものでした。

理想と現実のギャップに打ちのめされ、心が折れかけていました。さらに追い打ちをかけるように、憧れていた先生が教職を辞めてしまい、一緒に働く夢も断たれてしまったのです。その結果、教員以外の仕事にも視野を広げるようになりました。

ちょうどその頃、経営学部に在籍していたこともあり、「経営者ってかっこいいな」とぼんやりと思うようになりました。


大学3年になり、就活が始まりました。今まで約6年間、教員しか考えてこなった人間がやりたいことを見つけるのは至難の業でした。
やりたいことがないからとりあえず商社を受けてみたり、人と関わりたいから、人材会社を受けたり、教育分野に立ち返って受けてみたりもしました。

しかしどれも心から納得できず、モヤモヤが募るばかりでした。その中で、自分にもう一度問いかけてみました。「本当にやりたいことは何だ?」と。そして出てきた答えは、やはり「教員になりたい」でした。しかし、現状の労働環境では納得できません。だからこそ、まずはその環境を整えるべきだと考え、「変えてやる」と強く決意しました。

「変えてやる」と決めたものの、内定を保持したまま4年生の3月までで何ができるの?社会人経験を積んでから動き出すなんて、自分の性格では無理だとわかっていました。そうして2024年7月、すべての内定を辞退し、背水の陣で挑むことを決意しました。
(ちなみになんかカッコよく聞こえますが、実際は冷や汗の連続でした笑)

「変えてやる」と心に決めたものの、具体的に何をどう変えるのか、そのプランはまだ全く固まっていませんでした。


そこで学校や行政に入るのではなく、外部から起業家として、「教員が輝くことができる世界を創造する」を目指し、「教員1人ひとりの業務量の適正化」を図ろうと決めました。
現在はこの目標に向けて奔走中です。
(*今やっていることはまた次回書かせていただきます。)

現在の思い

現在は正直なかなかうまくいかないことが多いです。
実績ゼロの学生が、いきなり行政という強敵に挑んでいるのです。
一企業となるとどうしてもマネタイズの部分に関して障壁が大きく、また本当に現場で必要とされているのものか、負担にはならないだろうかと日々悩んで、考えています。


それでも諦めるという選択肢はありません。
なぜなら、自分で「やる」と決めたから。そして何よりも、教員の皆さんや教職を目指す学生たちを心から尊敬しているから。
これまで「教師は大変だ」「やめたほうがいい」と言われ続けても、それでも目指し、実際に教壇に立つ彼らの姿を見てきました。一度夢を諦めた自分にとって、彼らの存在はただただ尊敬の念しかありません。


教育は国力
です。
彼ら教員が輝き、その輝きを持ってして児童生徒はさらに輝く。そして将来の日本はもっと輝く。
僕はそう信じています。

2025年が始まって1週間経ちました。
ここからギアを上げて学生最後の春休みを全力で駆け抜けます。

ここまでの長文お読いただきありがとうございます!


追記:ご協力いただける方がいましたらぜひお願いします!



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