社会科の学習内容拡張論


社会科で扱うべき9つの問題

問題解決過程単元系列作成委員会が1954年に日本社会の基本問題として以下の9つを挙げました。
1.自然災害問題
2.健康問題
3.農山漁村
4.中小企業
5.工業・労働
6.現代文化の問題
7.社会計画課の問題
8.現代政治の問題
9.民族と平和の問題

仕事に関すること,身の回りの生活に関すること,(生活を豊かにする)教養に関することの3つにわけることができる。
①仕事に関すること
3.農山漁村       4.中小企業       5.工業・労働
②身の回りの生活に関すること
1.自然災害問題     2.健康問題
③教養に関すること
6.現代文化の問題    7.社会計画課の問題
8.現代政治の問題    9.民族と平和の問題
だから現代政治と同列に現代文化や中小企業,農山漁村を扱います。
一見すると政治学の扱いが小さいのではと思ってしまいますが,教養に関することの一部分と捉えるとそこまでおかしいことではないです。

現在ならば公民は地理や歴史と並ぶ一つです。一方で公民は政治学以外にも他に扱うべきことがあるはず。だけど公民の扱う範囲が狭い。
歴史に置き換えて考えてみます。日本史や世界史,地域の歴史などありますし,○○時代・△△時代など時代区分で区切ることもできます。だけど我々が扱っている歴史は一部分の地域・時代だけです。
公民の中で①仕事に関することを扱っても面白いかもしれないし,公民の教科書で扱っているもの以外の公民の内容を扱うことがリアルタイムの社会の問題について考えることができて教科の興味をもてるのかもしれない。歴史でも地理でも同様のことがいえる。

現在の社会科と比較して

現在の社会科とは雰囲気が全然異なりますね。例えば健康問題は5教科の範疇なのか,そもそも医療系ならば保健体育なのではないかなんて考えが思い浮かびます。自然災害は理科だし,民族と平和は社会科で扱いにはオーバーワークではないか。
でも,この9つはすべて日本の社会問題として適切で,社会科で扱わなくてはいけない問題です。自然災害が起こるメカニズムは理科ですが,人々の暮らしはどうなったのか,災害の歴史は何か,プッシュ型・プル型の支援の理解などは社会科で扱わなければならない。自然災害を学習するには社会科や理科,さらには別の教科でも扱わなければならない。健康問題や民族と平和についても同様のことが言えます。

今よりも扱っている問題が遥かに多いように思います。今ならせいぜい学習するのは③教養に関することの一部です。扱う問題の多寡が学習の質に影響を及ぼすと一概には言えませんが,本来生きている限り沢山の問題があるのだからその一部である問題解決過程単元系列作成委員会の作った9つの問題も実は多くないとも言えます。
逆に今扱う問題数が少なすぎるし,地歴公民の3つの区分自体が本来正しくないのではと仮説立てられます。ある物事を明らかにするには多方面から分析することは必要だが,総合的にみなくてはいけない。

なんで今はこのアイデアが使われなくなったか

70年前の実践が失敗?したのは問題を一つの大きな括りとしてとらえたからではないでしょうか。○○という問題を解決しようと言われても「どこから問題を解決すればいいのか」不明ならやりようがない。何らかの観点がないと適切に物事を進めるのは難しいという意味で地歴公民がある。それが今の言葉でいう系統学習になる。
経験主義的学習が「学力低下になる」「活動させているだけで中身がない」と批判されると反動で系統学習が行われるけど「詰め込みすぎる」「勉強のさせすぎで余裕がない」といわれて結局経験主義的学習になる…という繰り返しをしている。
つまり問題解決過程単元系列作成委員会の9つの問題を扱うことはよいが,ある程度は系統性を意識した学習でなければいけない。経験主義と系統性の中間で学習を行うことができればいいけれどそのような学習が今後の指導要領で実現可能なのか。多分私は無理だと思います。だから指導要領に固執しないで柔軟な指導が大切なのかもしれない。