少子化より少教師化が早く来る ~新しい1946年~


はじめに

今年の出生数は70万人くらいで,10年前より30万人も少ない。だから小中が減って義務教育学校に統合され,高校も廃校が増えるのではないかといわれている。統廃合が増えること自体同感だが,子どもが少なくなって教師が余るのではなく,子どもが少なくなり教師はもっと少なくなる。

小学校から高校の教員,特に小学校の教員は今でも足りていないという。試験の倍率も2倍を優に切っている。子どもが減ると同時に教職希望者が減ることがまず考えられる。今でさえだいたい教員が見つからないのだから来年なんてさらに教職希望者は減り非常勤の成り手も見つからないだろう。ただ,子どもは全員学校に通い,教職希望者は定員までは採用されるため,これだけでは少教師化の根拠には足りない。子どもと教員が同等程度に減少していく理由にはなるだろうが,教師の方が早く少なくなる理由としては少し弱いのである。

少教師化になる理由

本題はここから。
ワクワクした割合は教職が高いと言われている。よくワクワクを調べる時間がなかったのかもしれないし,子どもに考えさせる教育をあまり行わせていないからかもしれない。集団の中の同調圧力の問題も考えらえる。
個人的には学校という組織に良しあしはあると思いますが,他の社会人と比べて「総合的な学習の時間」を用いて社会的問題であるCovid-19とワクワクについて数か月間調べることもできたのではと考えています。そのなかでCovidの有無やワクの害悪性など議論したり自分で発見したり考察したりする機会を作れたのにたぶんやらなかったのだろうなと思っていました。
ワクワクした教師は5年後にそのまま教職をしているだろうか。2013年に治験した10万人はどうなっているのか。朝早く出勤して子どもと触れ合い,色々な準備をして帰る忙しい生活をしている彼らがそのまま仕事を続けられるとは思えない。いつ心筋炎,心不全,麻痺,入院してもおかしくない状況にいるのに過労して無事なわけがない。金と健康を天秤にかければわかる。
今いる教師の何割かはドロップアウトするのは目に見えている。オンライン授業で乗り切ろうと言ってもたかが知れる。

整理して考えてみよう。
今現在,教師(非常勤)は足りていない。
非常勤は待遇が悪いということで,あまり応募することがない。
正規教員について
まず1~5年目の教師が「この仕事合わないわー」と退職する。
中堅教師が産休などの事情で休職・退職する。
すべての年代の教師がワクワクの影響で退職する。
残った教師は人が少なすぎてやらなくてはいけない仕事が増えすぎてこれ以上働けないと言って退職してしまう負の連鎖に陥る。

絵空事のように思えるが,戦後の学校はどうだったのだろうか。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsste/23/0/23_82/_pdf/-char/ja

この2つの資料をみるに,やはり戦後は教師数が少なく,慌てて補充した感がある。だから助教諭が存在し,教育学部を増やしている。
今の社会はこのころの教育と全くの無関係にならなくなっている。
助教諭というのは言い換えれば臨時免許状で働ける人のこと。臨時免許で働くことがよいわけではないが,それも止む無しの世になっている。教育学部は修士課程がなくなり教職大学院に代わり,教育を目指す研究者の道が狭まっているといえる。たまたまだろうか。←それはたまたまか。

大学も無関係ではない?

しかし,所謂Fランは教育学部の道を開いているのだからいくら学校教員が少なくなるにしてもなんとかなると思えるのだろう。
しかし,大学こそ縮小するかどうかの問題なのである。
その根拠は3つある。
①大学施設で接種する場所の提供をする (職域の推進)
②アメリカの調査で修士号をとる人間ほど多く摂取する
③ある分野でエリートでも他分野では素人(耳鼻科が感染症のことよくわからないことと同じような感じ)

大学にいても二重マスクしている人がTVで取材に応じていたことからどの立場にいるかというのは基本的にあまり関係なく見える。これは大学施設も教員の数が減るのではないかという仮説である。では報われなかったポスドクがその穴を埋めて一件落着になるのだろうか。ポスドクと大学教員を同列に見るとポスドクも同症状なので一部のポスドクがその穴を埋めるに過ぎない。つまり教育学部も縮小するのではないかと考えてしまう。

教師の状況について戦中・戦後と同じ感じになっている。もしくはそれよりひどい状況になっている。一方で子どもの状況はどうなっているのか。

少子化の具合

幸い今の子どもは摂取している割合は低い。だから無事と考えてよい。ただ新しい戦前に生まれた子については差し控える。ホモボ〇ジ〇ネ〇スの子というのもあるが,ここではあまり語ると危ないのでやめる。
少子化かつ年代の半数が接種しているのは少なく見える。
戦時中は子どもが少なくて戦後になると溜まっているものを全部出して子どもを産むというのを社会の時間に聞いた。だから子どもの人数(割合)は戦中と同じくらい。子どもが大人より急速に減るということはまずない。
戦争孤児みたいなのが増えるかはわからない。
まあ,これから健康な子どもを増やすことは,はっきりいって無理に近い。だから80年前の戦後のように子どもが増えるということは考えにくい。現在は新しい戦前だけど,80年前と違うのはこれから数年後に子どもが増えないということです。前回は大人は少ないけど子どもは増えた。今回は大人は圧倒的に少ないけど子どもは増えない。

結局

小中高は教師不足が加速すると考えられる。それは都会部に集中するのでなく田舎に点在するのなら厄介な問題。教師が何校も掛け持ちしなくてはいけない。昔なら田舎に子どもが固まっていたが,今は田舎の子どもは数える程しかいないから。だからといって田舎をなおざりにするのは違う。特に一次産業を中心としている街は義務教育を受けなくてはいけない。
子どもの方が多いのだから個別最適なんて実現できるのだろうか。それより子どもが自学自習できるようにしないといよいよまずいのでは。

教育以外の問題

子どもを対象にする仕事は需給バランスが崩れる。子ども:大人=1:5が,1:2になると考えたらどれだけ人手不足になるかわかるだろう。床屋やスーパーの店員,金物屋はもちろん,塾講師やピアノの先生,英会話学校などは猛烈な売り手不足になると予測できる。ただし,そこまで厳しい問題とは思わない。1950年頃は子ども:大人=1:2だったが,普通の社会は回ってた。人が一気に減る反動で1:2になる一時的な問題が厳しいだけで数年したら,少しだけ改善すると思う。

どんな時代になるのか

円安とアメリカが崩壊しそうという政治経済分野の面,教育の面,社会が混乱に走っている面,日本だけ欧米と比べてインフレが抑制されている金融の面,情報統制の面,すべてを総合すると,これからは1946年に戻ると考えられます。1946年に近い暮らし・生活になるという方が自然です。
太陽フレアが本当にあるならpcもレコーダーも精密機械は使えません。
自転車と電球と鍬は使えます。
明治維新の頃も1946の頃も国賊が暗躍していましたが,庶民単位では文明の恩恵を少なからず受けていました。それが必ずしもいいこととは限りませんが,救いようはあるのでは。NWOが来ないなら。
一つ上記の2つの時代と違うところがあるとすれば土の時代から風の時代になったこと。物質主義から精神主義への移行です。文明というものは物質ですが,あまり物質に頼りすぎずに精神的成長をしなくてはならない。その機会として新しい時代が始まるのなら,今の停滞した何の変化もない時代で,過ごすよりは賭けとしては価値がある。

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