【アメリカ駐在】補習校に落ちたハナシ
こんにちは。ベトナムのEdubalアンバサダーChieです。
現在私はベトナムの北部ハノイで生活していますが、今日のnoteはここに来る前の、アメリカ西海岸シアトルにいた頃のお話。深刻なタイトルですが、ちょっとした笑い話です。よろしければどうぞ最後までお付き合いください。
補習校の試験に挑戦
長女が日本の学年で年長さんになる数ヶ月前、周りのお友達がザワザワとある話題で盛り上がり始めました。その話題とは「補習校」。我が家は補習校に入れると決めていたわけではなかったのですが、周りにいる日本人がみんな受けるとのことで、その流れに乗って受験してみることにしました。
この時点で既に不穏な空気ですよね(笑)
何年も前から「補習校に子供を入れる」ということを心に決めていたご家庭も多く、面接の受け答えや子供への指導など入念に対策をしていらっしゃいました。
その頃私の周りにいた友人は、いわゆる駐在家庭は少なく、パートナーがアメリカやカナダ出身の人だったり、現地採用で長くアメリカ生活が続くという人が多かったです。だからこそ日本の教育への気持ちも強かったのかもしれません。
私も彼女たちの話を何となく耳に入れ参考にさせてもらいつつ、娘と一緒に補習校の入学試験を受けに行きました。
子供の面接や試験、そして私(親)の面接を終えて帰宅。
娘にどんなことをしたのか、どんな質問をされたのかを聞き、自己評価を聞くと「よくできた」とのことでした。それに「日本のパスポートを持っている駐在ファミリーなわけだし、当然受かるだろう」と思っていました。
そして数日後受け取った、まさかの「不合格通知」。
うっそーーーん!という気持ちと、もちろん相手から「拒否」された悔しさや「は?どういうこと?」という気持ちがあったことは否めませんが、決して落ち込んだとか、絶望したとか、そんな感情はありませんでした。
落ちた原因
周りの友人のコメントを参考に、私なりに「落ちた原因」を分析してみました。これはあくまで私独自の分析です。
最大の原因として私自身に
補習校に対する冷めた思い=日本に対する冷めた思い
が挙げられるような気がします。
面接では日本に帰る見込みと共に、日本語の教育をどれだけ真剣に考えているか、日本の教育に対する熱心さみたいなものを、あらゆる質問の中で問われていました。
それに対して私は
「しばらく日本に帰る見込みはありません。」
「preschoolは現地のpreschoolに通わせています。(日系幼稚園に入れようとは微塵も思いませんでした。)」
「可能な限り海外での生活を続けたいと思っています。」
と回答しました。
そんな私に対して周りの友人は「それは絶対落ちるよーー!」と。(笑)
当時の私は「日本」に対してとても冷めていました。
日本という国に希望が見出せなかったんです。政治を見ても、教育を見ても。出る杭はうたれ、同調圧力にさらされ、ジャッジのされ方も残酷で、子育てのしにくい社会で、どことなく閉鎖的で内向き。そんな国で子育てしたくないし、戻りたいとも思わない。そんな気持ちが強くありました。
そして、子供たちには日本語は話せるようになってほしいけど、日本の教育を受けて育ってほしいかと言われたら「別に」という思いがありました。
だから補習校に対しても非常に冷めており、そんな私の冷めた感情は言葉や身体から滲み出ていたのだと思います。
「じゃあなんで受けたの?」という質問が返ってきそうですね。本当にその通り。そもそも受けるべきでない家庭が試験を受けに行ったから落とされた、それだけの話だったと思います。
娘は土曜日まで毎週学校に行く生活が始まるかもしれないということに嫌悪感を抱いていたので、補習校には行かないことになったという結果にホッとしていました。
あの頃の自分は若かったですね。視野が狭かったなと思います。あれから5年…様々な経験や出会いを経て日本に対して明るい希望を見出せるようになりました。日本の学校や教育の良さもたくさん見出せるようになり、今は日本の嫌な部分以上に日本の好きなところが言えるような気がします。同調圧力すらもクルッとひっくり返して日本人の良さに思えたり、謙虚さや勤勉さを含む美しい精神性は子供たちにも受け継いでもらいたいと思っています。
海外で育ちながら「日本人として」生きる。これは大きなテーマであり、常に考えながら子供達を育てていきたいなと思います。
今年の夏は初めて子供達を日本の小学校に通わせる予定です!どんな学びや気づきを得てくるのやら…楽しみです♪