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【Edu-more plusライター企画】ハイジの国の生活はコロナと共に:後編 ~スイス駐在~
こちらは、Edu-more plus会員が海外子育て、海外での教育や生活、帰国受験など海外赴任ファミリーの実体験や想いを綴っていただく【Edu-more plusライター企画】の記事です。
こんにちは。スイス、チューリッヒから約2年前に帰国したTomokoです。
我が家の慌ただしくも穏やかなスイスでの生活、後半を振り返って綴ります。
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★Edu-more plusライター・Tomokoの綴った前編はこちら👇👇
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勉強は!?
コロナとの共同生活にもスイスでの生活にも慣れてくると心配になるのは、やはり勉強です。子供達の通っていたインターナショナルスクールは国際バカロレアというIBコースに基づき、勉強がすすめられていました。
子供達が時折話してくれる授業内容の一つに、「ギリシア世界でアテネとスパルタ、どちらに生まれたいか、のディベートをする」と言うものがありました。歴史の授業でギリシア世界を学ぶ一環だったのですが、年号と出来事の暗記に追われた親にとっては印象的な授業で、こんな勉強方法もあるんだ、コロナが落ち着いたらギリシャにも行ってみたいね、と家族で話したものです。
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その様な勉強スタイル、そして授業は英語ということもあり、息子の勉強のフォローをしてくださる方をこちら(EDUBAL)に紹介して頂くことにしました。G9(中3)の4月から、学校の授業全般を週1回、オンラインでの勉強です。
そのおかげもあり、学校の夏前の面談では、学校に馴染んできてクラスでも発言している、このまま進めばバカロレアを取得する方向でいけるよ、という前向きな言葉を頂きました。息子がやっとスタートラインについた感じがし、私も夫も胸を撫で下ろしました。
一方、のんびりと学校生活を楽しんでいた娘は、帰国受験に備えて取り敢えず日系の塾で国語と数学だけに参加。もちろんこちらもオンラインです。
日本の受験に特化した塾に通うのが初めてだった娘は、先生の熱気に慄きつつ「まずい!」と思ったようで、その時だけは必死に勉強していました。
オンラインでの塾なんて、コロナ前までは考えられませんでしたよね。
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母の駐在ライフ
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子どもが成長するにつれて、親が学校生活や子どもの交友関係に入り込む機会は少なくなっていくと思います。
が、子どもにとっても慣れない新しい生活。少しでも子どもの様子、学校の様子を知りたいと思い、買い物程度の英語力の私ですが、学校の保護者が主催する(PA)活動や、お誘いのあった集まりには何とかヘロヘロになりながら、できうる限り参加しました。
2人の子どもの学年の会、転入生の歓迎会、住んでいる地区の会、もちろん日本人会も。人の出入りが激しいイ ンターナショナルスクールならではでしょうか。右も左も、言葉もよく分からない私に、皆さん、ゴミの出し方まで教えて下さり、とても親切でした。
子どもの為になればと思って参加した様々な集まりでしたが、結果、私の居場所、親しい友人もでき、勇気を振り絞って参加して本当に良かったと思います。
そんなPAの活動のメインは何といってもwalkingという名のお散歩です。顔見知りになりちょっとお茶でも、の代わりに誘われるのはお散歩でした。
学校の駐車場に車を停めてお散歩に行かない?というフレーズを何度耳にしたことでしょうか。
自然豊かなスイスには至る所にウォーキングコース、ハイキングコースがあり、コロナ禍でも人数制限はあったものの禁止されることはありませんでした。このwalkingはスイスの人たちにとっては欠かせない日常生活の一部なのでしょう。
ちょっと短めにと言われても30分、普通のコースは60分。会話は英語なので耳をダンボにして、スイスらしい雄大で綺麗な景色を見ながら歩くひと時はかけがえのないものでした。お散歩後にコーヒーを屋外のテラスで飲みながらもうひと喋り。帰宅をすると、実はグッタリだったということは否定できません。
野生の鹿を見つけたり、途中に設置してあるBBQコーナーでソーセージを焼いて食べたりする。 そんなスイスならではのお散歩は今回の駐在生活を振り返るにあたって欠かすことはできません。
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コロナの規制が緩和されてからは、そんなお散歩仲間とクリスマスクッキーを一緒に焼いたり、太巻き寿司を作ったりもしました。コロナにこそかからなかったものの、ビザの延長許可が私だけおりず、必死にドイツ語を勉強し検定試験を受けたり、旅先でアキレス腱も切ったり。ハプニングも随分とあった私でした が、楽しく充実した日々でした。
最後は突然に
駐在の終わりは突然やってきました。4年から5年の駐在期間を思い赴任した我が家でしたが、2年目を過ぎた頃から何やら不穏な雰囲気に。
とりあえずは子供達の編入先を見繕ってはみたものの、正式に辞令が出てから、子供達に話をしてどうしたいのか聞いてみよう、ということになりました。
そして2022年の1月、息子の16歳の誕生日、ワインで乾杯(スイスでは16歳から可)したあとに、3月いっぱいで帰国する旨を告げました。
日本人学校に行けないのか、と言っていた息子が、自分だけでも後2年、卒業するまで今の学校に残れないのかと言い、娘は部屋にこもってしまいました。
が、思ったよりも吹っ切り(諦めというのでしょうか)も早く、残り少ないスイスの日常生活へと戻って行きました。
子供達は2人とも今のバカロレアコースを英語で続けたいと希望。コロナ禍で帰国受験も難しい中、今の学校に通うことが正式に決まったのは、日本に帰国した当日のことでした。
ハイジの夕焼け
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帰国してから早くも2年が経とうとしています。時折、本当にスイスに住んでいたのか、と思うことがあります。
でも休みになるとスイス時代の友人が次々と日本を訪れてくれます。子ども達は英語で勉強をし、時には部屋からスイスの友達とゲーム中であろう叫び声・笑い声が英語で聞こえてきます。
そして慌てて洗濯物を取り込む時に見る日本の夕焼けは、スイスの自宅から燃えるような夕焼けを見入っていたひと時を思い出させてくれます。
“Grüezi”というスイスドイツ語の挨拶、“Aüf Wiedersehen”と 交わした友の顔も。少し寂しく、でもまた頑張ろう!という気持ちと共に。
親の出番が少なくなる中学生と高校生を伴った駐在生活。私はただ心配して見守ることしかできませんでした。
それでも子供達は成長し、今や英語の会話に臆することもなく、そして自分達の未来の舞台に当たり前の様に世界を考え、どこに行ってもやっていける、という自信を持つようになりました。
コロナ禍は開かれていた世界が閉ざされ、世界が遠くなった期間であったかもしれません。でもそんな閉塞感の強い中、家族一緒に、未来に世界へ羽ばたく為の鍵を、手がかりを手に入れることができた。
我が家にとってはそんな2年半のwithコロナ、感謝感謝の駐在生活でした。
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