【アメリカ駐在】3年半を経て日本へ本帰国! 帰国生の息子が公立小に転入したときの様子
こんにちは、EDUBALアンバサダー小川のぞみです。私には3歳差で帰国高校受験を経験した第一子長女と、帰国中学受験を経験した第二子長男がいます。
今回は、本帰国して「小6の8月末に転入した息子の様子」をお話したいと思います。2年数か月前になりますが、はっきりと覚えています。やはり、とまどいはあったようで……?
最終学年の夏という直前の本帰国! 受験モードの中、新しい学校へ
アメリカ・シリコンバレーから日本にワクワクと本帰国できた小川のぞみ親子でしたが、スタートはホテルでの2週間の隔離生活だったことが思い出されます。アメリカで陰性で飛行機に乗り、日本の空港でも陰性でしたが隔離だったのが謎でした(笑)。あの頃は今思うと大変でしたよね。
受験の天王山といわれる夏休みでしたので、子どもたちはオンラインで塾の講義を受けたりして過ごしていました。それぞれ中学受験、高校受験が控えていたため、隔離終了後は帰国生のための塾に近いエリアの戸建を賃貸。縁もゆかりもない東京・渋谷に出やすい田園都市線に居を構えた2021年夏でした。
比較的帰国生が多いエリアだったからか、小学校のほうも中学校のほうも、先生方はスムーズに受け入れてくださり良い学校に当たった! と思いました。日本の生活を楽しみにしていた子どもたちでしたので、その様子に先生方も安心したのかもしれません(意外にも本帰国したくない、とは姉も弟も言いませんでした。日本の生活に憧れもあったようです)。
帰国生受験を控えた小6の息子が公立小学校で馴染むまで
アメリカの現地校を卒業し、本帰国して小6の8月末に公立小学校に転入した息子に私が願ったのは、日本の小学校、日本の生活が楽しいと思えますように、ということでした。小2で渡米したため、あまり日本の小学校のことを覚えておらず、最初はドキドキと「日本の小学校でどんなところだったかな」と伺っている雰囲気でした。
数週間経過あたりだったでしょうか。「みんな不親切! 学校が嫌だ!」と言いだしました。聞いてみると「委員会の集まりが『いつでどこなのか』教えてくれない。何か聞いてもちゃんと答えてくれない」など的確な情報が返ってこないことへの苛立ちのようでした。
そのとき私がピンときたのは、お友達をヘルプすることに長けていたアメリカのクラスメイトや、小学生といえど質問にYES or NOで答えてくれる……きっとそういう文化に慣れていたからかも、ということでした。無意識に違いを感じたのでしょう。一応、私は小学校に一度電話をして様子を尋ねました(学校に電話するのは人生で初めてだったかもしれません)。担任からは「休み時間なんかにニコニコみんなとドッヂボールしたりしていますよ。でも注意してみてみますね」ということでした。
結論から言いますと、なんとか無事に私立中高一貫校に合格し、卒業して引っ越すことになったのですが、最後の日には男女8人ぐらいのクラスメイトが見送りに来てくれました。先生からの卒業メッセージにも「半年ほどしか〇〇小学校にいなかったなんて信じられないぐらい馴染んだよな」と書かれていました(笑)。最初は馴染めないこともあるけれど、結局は楽しく生活できて……子どもの順応性には目を見張るものがあります。
帰国生あるある⁉ 塾の効果で算国はできるも、理社と漢字が難しく成績は凸凹
公立小学校での成績はというと、凸凹でしたが息子も私もあまり気にしていませんでした。帰国生入試の中学受験は、小学校の内申のようなもの(成績表、通知表)は不要というところが多く、あるとしても現地校の成績提出でした。とにかく馴染めば上等と思っていたので、学校の成績はスルーしていました(中3の娘は転入直後から頑張っていましたが、小学生のほうは「より頑張らなくていい」と言いたいです)!
ただ算数と国語は塾で勉強しているので大丈夫でした。中には筑駒、開成、麻布あたりを受ける子もクラスにいたようで、勉強が好きでできる子を見たようでしたので刺激になったようでした。「俺のクラス、そこら辺の塾の合格実績を上回る!」とかなんとか言って笑っていました。
直前帰国組のみなさんにお伝えしたいのは、「本当に馴染めたら十分、馴染めなくて当たり前の精神」で、むしろ「小学校ではリラックスして受験期を過ごす」ことをオススメします。小学校の成績も気にしなくてよいのです。帰国したばかりの中、塾で受験勉強モードをこなしているのですから!
当時は親子でそこまで達観できませんでしたが(笑)、ご相談がございましたら、私でもほかのアンバサダーでもおこたえいたします。