【Edu-more plusライター企画】ハイジの国の生活はコロナと共に:前編 ~スイス駐在~
初めまして
こんにちは。スイスから約2年前に帰国したTomokoです。
皆さんはスイスというと何を思い浮かべるでしょうか?
物価が高い、高級リゾート地、アルプス等など。訪れたことはなくても何となくのイメージができる国、ではないでしょうか。
実際のスイスは九州と同じぐらいの面積に、日本の人口の60%の人が住んでいます。公用語は地域によりますが、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の四つになります。
そのようなスイス、チューリッヒへの赴任が決まったのは今から5年前の2019年、2人の子供達が中学2年(長男)、小学5年(長女)の1学期が終わる頃でした。それからの2年半の我が家の慌ただしくも穏やかな日々を振り返りたいと思います。
これから駐在を考えている方、駐在を悩まれている方等にとって、何かのヒントやきっかけとなれば嬉しいです。
ハイジの国への初めまして
海外転勤の雰囲気をそれとなく感じていた子供達は、幼少期にロンドンに住んでいたこともあり、割りとすんなり一緒に行くことを了解してくれました。海外転勤が決まった多くのご家庭と同じように、先ずは子どもの学校、そして住居、という段階を踏みながら、我が家も生活の基盤作りを日本に居ながら始めました。
第一関門の子供の学校。選択肢としては、大まかに日本人学校、インターナショナルスクール、寮つきの日系の学校が考えられました。(現地校はドイツ語なのでちょっと無理)
駐在中は出来るだけ家族一緒に住みたい、そして子供達には何かに挑戦して欲しいと考え、夫が学校探しに奔走してくれた結果、2人ともチューリッヒにあるインターナショナルスクールに通うことが、何とか決まりました。
先のロンドン駐在時、どっぷり日本人コミュニティで過ごした我が家にとっては一大決心でした。学校まで子供たちが自力で通えるところに湖が見える 眺望の良いフラットも見つかり、2学期終了後、一足先に赴任していた夫に慌ただしく合流しました。
いざいざ出陣
年が明けてしばらくして、学校が始まりました。
チューリッヒでは子どもの送迎は必要ありません。初日こそ一緒に行きましたが、その後は自宅近くのバス停から学校まで30分ほどでしょうか。コロナ前までは子供達だけでバス通学でした。バスは基本的に30分に一本です。親はバスに乗り遅れないように子供達を送り出すのにドキドキの朝でした。
日本の小学校の最終学年にあたるGrade5に編入した娘は、通い始めて早々にクラスメイトのお誕生日会に招待されました。プレゼント探しに奔走したものの、誕生日会も楽しく過ごし、順調と思われる滑り出しです。
一方で息子は登校2日目に「日本人学校に転校できないかなあ」とボソッと涙声で私に訴えてきました。あんなに寂しそうな息子の顔を見たことがなく、私は胸が潰れる思いでした。覚悟して、頑張ろうと思い、こちらに来たものの、言葉がわからない疎外感は想像以上のものだったのでしょう。私も悲しく、どうやって励ましたのか記憶にありません。ただただ、抱きしめ、その思いを受け止めることしかできませんでした。本人がどう思い切ったのかは良くわかりません。
でも親に弱音を吐いたのは後先にもその時だけ。休むこともなくただひたすら学校に通いました。最近、それとなく聞いてみると、「もうあの時は詰んでたじゃん。」という返事が返ってきました。後がないから、必死に通うしかなかった、ということなのでしょう。
そしてコロナがやってきた
新しい生活に少しずつ慣れ、船便も到着し、生活が整って来た頃、世界中を襲ったコロナの生活になりました。子供達の学校もイースター休暇をはさみ1ヶ月半ほどオンライン授業。パソコンが必要な人には貸出があるなど、オンラインに入る体制はとてもスムーズでした。
その後もイベントは中止、時間差登校などはありましたが、日本や他の国々に比べると比較的早く可能な限りの平常モードになった感じがします。
ただ、顔を合わせてこその友達作り。ようやく学校に慣れてきた子供達にとって、その点は一段と大変だったのではと思います。またマスクを付けている為、先生の口の動きも分かり難く、聞き取りにも困ったようです。(特に新しく始まったドイツ語) 娘から相談され、透明のフェイスガードの様なマスクをつけて欲しいと先生にリクエストをしたりしました。
日本にいた時は「いつまでゲームしてるの?」と言いがちの私でしたが、この時ばかりはそのオンラインゲームにかなり助けられました。オンラインで日本の友達、時にはこちらの新しくできた友達と、ちょっと緊張しつつ会話をしながら、屈託なくゲームをすることで、疎外感が軽減されたのではないかと思います。
余力が出てきて
学校や生活に慣れることだけに必死だった我が家+コロナの半年でしたが、親子共々心の余裕ができ、学校以外の居場所を作ろうと習い事を始めました。ピアノとテニスです。ピアノは先生が自宅に来てくださりレッスンを、テニスは近所のテニスクラブで、どちらも英語を話せる先生にお願いしました。子供達、特に息子にとっては良い息抜きになったようです。冬はテニスクラブが閉まってしまうのですが、2年目からは室内練習場をさがし、レッスンを続けました。
親にとっても子どもの様子が見られる、楽しいひと時でした。
習っていることの上達だけではなく、先生とのコミュニケーションの上達もわかり嬉しかったです。息子は駐在中に習い始めたピアノを今でもオンライ ンで同じ先生に細々と教わっています。
比較的、学校生活に馴染んでいた娘には、馴染んだからこそのトラブルが時々ありました。娘は全く気が付かなかったようなのですが、人種差別的な発言をされていたらしく、ある日突然、先生につきそわれたクラスメイトが謝りにきたり、自分の意見をかなりはっきり言う友達に色々言われ、なぜそこまで私は言われなければならないのか、と憤慨したり。
でもそれもこれも皆、彼女が学校生活に溶け込んでいるからのハプニング、と私はかなりのんびりと考えていました。「私だって大変だったし、頑張っていた」という娘です。もちろん、頑張っていました。
でも、学校帰りに友達とトラムに乗ってチューリッヒの中心街でマックやスタバに行ったり、お友達の山のお家でのお泊まりも体験し、娘はここで楽しく逞しくキラキラと成長していったと思います。
~後編では、子どもたちの勉強や、母のスイスでの生活、そして本帰国までを綴っていきます~
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