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親子国内留学ー不便が生むコミュニケーションとはー
2022年4月より、都会から田舎へ親子で国内留学をしています。
ここに来てそろそろ2ヶ月。
住みなれた場所を離れ、色々な不便を感じてきました。
ざっと挙げるだけでも
ー友達がいない
ーどこに何が売っているか分からない、つまり土地勘がない
ー頼れる親が近くにいない
ーネット情報が少ない などなど
でもこれが直にデメリットかと言われると、そうとも言い切れないと思っています。
それは、「不便こそがコミュニケーションを生む」という事に気がついたからです。
友達がいなくてつまらなければ、積極的に人の集まる「移住者交流会」などの場所に行き、初対面の人と自分の事を喋ったり、相手の事を聞いたりしてつながりをつくろうとします。コミュニケーション力がいやでも磨かれます。
土地勘がなければ、周りの人に聞くしかありません。「教えてください」「知ってますか?」と口を開くことで、ただの挨拶を交わすだけの関係から一段レベルアップした知り合いが増えていきます。
そして親のように気兼ねなく頼れる人が近くにいなくて困った緊急事態では(最近では突然濃厚接触者となり買い出しにいけなくなった時)、身近で一番頼みやすい人へ「悪いけどお願いできませんか?」と、自分から勇気をだして助けを請わざるを得ないという経験をしました。
大抵の相手は、簡単な手助けなら快く応じてくれるものです。そんなちょっとした頼みごとを通じて、双方の関係性が第2段階へレベルアップしたような気がしました。
まるでこちらが扉を開いたことで相手の扉も開かれたかのような、まだ細いけれど、自由に心が行き来ができる道がうまれたような感覚です。そして一度できた道はこれからもそこにあるという何とも言えない安心感。
親や配偶者がいたら、いつもそこを拠点とした数本の道を行き来するばかりで、永遠に他の第三者との関係性を深める必要性も機会にも恵まれなかったと思います。
不便こそがコミュニケーションを生む。
人間関係の豊かさとは、時間の長さではなく関係性のレベル。
便利すぎる都会の暮らしは、人からコミュニケーションを奪っている。
本来必要なコミュニケーショまで。
「不便」という一見デメリットに見える環境が派生的に生み出す「価値」について、田舎での2ヶ月をとおして考えました。
しかし、本来コミュニケーションは人にとってどんな意味があるのか。
次回はさらに掘り下げて考えてみたいです。