帰国生と国際生ってやつ。このもやもやはどこから?
中学受験界隈でよく言われる、帰国生と国際生という言葉。
外国に住んでいた経験が少しでもあれば、<帰国生入試>特典がもらえる…
という不公平感を是正するため、帰国生の定義(海外生活1年以上、帰国後3年以内)を厳格化した結果、そこに含まれないけれど英語が堪能な小学生(外国籍を持つ親を持つ子、国内インター生など)だって欲しいんですが…という学校が、国際生枠を設けて、海外経験を問わない生徒を募集する流れが生まれたということが、背景のようですね。
大学の進学実績を上げたい中高一貫校からしてみれば、中学入学時点で、日本では高校卒業と同程度と言われる英検2級以上保持者なんてオイシイわけで、ある種、自然な流れなんだろうなと思います。
ただ、なんとなーく残る、このもやもやした感じ。それを言語化したいのが本文の趣旨です。(すみません、今時点で、着地点は未定です。。)
・そもそも帰国生と国際生は、何が違うのか
「海外での生活経験ができ、英語だって話せるようになるなんて。しかも、受験機会も多くて、帰国生いいですよね。」というのは、もちろん否定するわけではないのですが…帰国生の最大の悩みは、行く「時期」と「場所」を選べないことだと思います。そして、これが学習環境とスタート時期を決められる国際生との最大の違いだと思っています。
よく言われるのが、英語を語学としてできるようになるまでに3年、アカデミックなレベルになるまでには5、6年。その期間を海外でぴったりうまく過ごせるケースがどれくらいあるでしょう?しかも、英語が第一言語ではないところだと、早くから最低三カ国語(日英と現地語)を学ぶ必要もあるのです。
加えて、我が家の次女の場合、人生の大半を海外で過ごしていても、仮に今帰国すると、帰国後3年以内ではないため、国際生扱いになるというなんともややこしいことに。
・海外にいれば、日本語の勉強は捨てられる?
帰国生は、海外に出る時期も選べないなら、戻る時期も選べないので、中学受験の可能性を持つ場合は、日本の勉強をぎりぎりまで捨てられない…というのもあるあるだと思います。
また、学年の区切りが違うため、日本の小学5、6年生は現地ではすでに中学生になっており、レポートや発表が増えて忙しくなっていく中、日本の勉強も難しくなってというのは、実際、なかなか大変なものです。
・「英検2級レベル」を使うことの妥当感
その上で、多くの英語受験を用意している学校が、募集要項に掲げている英検2級。これはまず、英検2級が日本だと高校卒業程度っていうのが、なんといっても、違和感の原因のひとつではないでしょうか。高校生や大人が受ける内容の試験をなぜ小学生が受けなくてはいけないのか?という点。
それと国や地域によって受けられる級が違ったり、そもそも最寄りの会場が飛行機の距離という人が多いことも不平等感があるし、そもそも日本人しか受けない英語の試験を海外組に課す意味とは?というのも、必ず通る道。一方で、英検じゃないならと、いきなりTOEFLの点数を求めてくる学校があることにもびっくりで…年齢考えると、TOEFL Primaryとまではいかなくても、TOEFLJuniorではダメでしょうか?という気がするものです。
https://www.kf.keio.ac.jp/wp/wp-content/uploads/2023/04/7b3338c66bab2bd560cd90c3a0e495ce.pdf
・「小6時点」でネイティブでいられるか?
確かに、ネイティブレベルの英語話者なら、英検対策みたいなことをしなくても、小5、6で準一級合格できるかなという肌感覚はあります(一級は受けていないのでわかりません)。なので、英検2級が求められる条件として、徒に高いというわけではないのですが、小6でネイティブレベルの力を持てる環境にいる可能性がどれくらいあるか、というと、先ほどの話ではないですが、これは本当にごく限られたケースだと言えます。それに、さらに日本語力もネイティブレベルというと、それはもう針に糸を通すようなものなのかもしれません。
それを踏まえると、帰国生でも国際生でもなんでも、海外に行くかわからなくても、あらかじめ英語を本格的に学んでおく、帰ってからも、周りが英語を話せない環境の中でブラッシュアップしていく。その間、日本語も絶対捨てられない。…とまぁ、並大抵ではないですよね。。
・最大のもやもやの原因は
結局、このもやもやは、通常の受験も、帰国生も国際生もぜんぶひっくるめて、「小学生にここまでさせる必要があるのか」に尽きるのかもしれません。
国語にしろ算数にしろ、英語にしろ、国内トップ校の大学受験に耐えられる学力をすでに持っているという証明を小学生時点でする必要があるでしょうか?(ネット記事でしたが、御三家レベルなら『羅生門』が読める語彙量ときいて、びっくり仰天)
そして、それだけのレベルの高い大学が国内にあるでしょうか?
究極には、国際的に競争力のある国内大学が少なすぎるし、そこを目指すために小学生が夜遅くまでストレスかかえながら勉強することの是非に、いつまでも目を背けているから、今の円安がある、という気にもなってくるのです。
だいぶ話が飛躍しましたが、やはり中学受験は、超絶ガラパゴス社会。そんなところが、重箱の隅をつつくように、「基準を厳格化します」なんていうのは、いったい誰にとって嬉しいのか、何を目指しているのか、なんだか全然わからないな、という気持ちを言語化したところで、今日はおしまいです。。