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夏休みらしいところ全部〜ふくおか日記②心のスクリーンに映るもの


今回の夏休みは3週間。
行けるとこは欲張って全部行ってみよう!という気持ちで福岡まで来た。

福岡市科学館でプラネタリウム🪐

プラネタリウム自体は何度も行ったことのある息子だが、いつも行く押上のコニカミノル天空は最新のプラネタリウムといった感じで、寝そべって星を見ることができる三日月シートがあったり、
リラックスアロマを焚いていたり、
プログラムの方もドラマ仕立てのものや、
グラフィックに凝ったものを上映している。
ギリシャ神話に関するちょっとエッチなプログラムまである。(R-指定)

それはそれでいいのだけれど、肝心の星をあまり見せてくれない。

もっとシンプルでいいんだよなぁ!
星が見たくて来てるんだしなぁ。

そんな気持ちを満足させてくれたのが、福岡市科学館のプラネタリウムだった。

平日に行ったのもあり、会場には全部で5.6組のお客さんしかいない。
一番前のシートに腰掛けるとすぐに暗くなった。

まずは福岡市の空が映し出され、月が登ってくる。やがて満点の星空に線が引かれ、星座が浮かび上がる。
そうそう、こういうのを待ってたんだよ。

息子はさっきからコソコソ声で隣のおばあちゃんに何か話しかけている。
「ほら、あそこに三角形ができたでしょ。」
「これはアンドロメダって言うのね。」
と自分が仕入れた知識をおばあちゃんに披露するのが嬉しいのだろう。
私はすっかりリラックスして、うとうとと眠りこけていた。

また福岡市科学館の展示室には色々な実験装置が置かれていて、子供はもちろん大人でも十分に楽しめる。

宇宙の誕生から現在までを体感する


息子が(私の方が)夢中になってしまったのが、惑星を作る装置で、
両腕を大きく広げ、宇宙のチリをかき集めるとポン!と星ができるというもの。
このポン!が楽しくて、ポン!ポン!やっているうちにすっかり夕方になってしまった。

掻き集めて〜、ポン!


太宰府天満宮と九博

京都の北野天満宮は何度も行ったことがあるけれど、太宰府天満宮は初めて。
さぞ立派なお社があるんだろうと思っていたら、立派というよりは、なんともモダンな本殿がありました。

おしゃれやなぁ
冷たい
九博かっこい〜
かわええの。

はにわって、素朴でかわいいと言われるけれど、よくよく見てみると兜や胸の飾りもきちんと作られて、膝に結んである紐や靴の形も表現されている。粘土でこねこねぺっぺと作ったものではないよな。
丁寧に作ったからかわいく見えるんだろうな、と思う。

左遷された菅原道真のイメージが強いので、どうしても辺鄙なところと考えてしまっていたが、海外からの物も人も最初に入ってくるのがこの土地なのだから、活気があって当然だよな。
都以外にも街があって、都以外にも人の暮らしがある、という当たり前のことを忘れていた自分を少し反省する。

開放的な天井
福岡の航空写真が気に入ったようで



福岡➡山口 関門海峡をわたる

歴史に疎い私には「平家が沈んで、長州が大砲ぶっ放したとこでしょ」というものすごく雑な知識しかないのだけれど、みんなが知ってる歴史の舞台がすぐそこにあるなら行ってみよう!ということで、博多から新幹線に乗り小倉、そこから在来線で門司港へ。さらに船で関門海峡を渡り、人生初の山口県へ向かった。

門司港
レトロな駅舎
すぐそこに見える山口県

関門海峡って、こんな狭いんか!と言うのが最初の感想だった。
津軽海峡やドーヴァー海峡を泳ぐ人もいるんだから、

「この距離なら泳げるんじゃない?」

3㎞の遠泳~150㎞の自転車~フルマラソンを14時間で完走したトライアスリートのおばに聞いてみると、

「そういう問題じゃない。潮の流れが速すぎる」

とのこと。
失礼しました。

でも昔の人も船で渡ってたんだよね。向こう岸は見えるのに、危険な場所だったんだろうか。
心理的にも隔たっていたのかなぁ。

船で山口県側、唐戸へ着くと、観覧車が見えた。
息子が乗りたい乗りたい言うので、乗ることにした。
あれ?もしかして息子観覧車初めてか?

本州と九州が出会う場所

大人の私でもきょろきょろと見回してしまうのだから、息子にとっては何から何まで、初めての事ばかりだろう。
欲張って連れてきてよかったよ。


知らないって! タクシーの運転手と喧嘩する

唐戸から壇之浦古戦場跡へ行こうと思い地図を見ると、2キロ近くある。
暑いし、息子連れてるし、もうタクシー呼ぶか。と思って呼んだタクシーの運転手となぜか喧嘩するはめに。

私「壇之浦まで行ってください」

運「壇之浦って言われても、どこまで行けばいいの」

私「ええっと、『壇之浦古戦場跡』ってところがあるみたいなんで、そこで」

運「それはどっち側?右?左?」

この時点ですでにイラっときてる私。

私「ちょっと待ってくださいね。今地図見せますから」
(なんやねんこいつ)

運「右か左か教えてくれたらいいから!」

私「だーかーら知らないって!初めてなんだから!」

険悪なムードになる私と運転手。
横に座るおばが「まぁまぁ」と言った感じで間に入るが、
不貞腐れた運転手がアクセルをベタ踏みして80キロも出すもんだから私もいよいよ頭にきて

私「〇〇さん!そんなに急いでないんで!」

と前のめりに言いおわる前に目的地に着いてしまった。
(なんなんこいつ)

無言でお金を払って降りた私の後ろからおばが、

「そんなに喧嘩腰にしなくてもいいのに。」

と言う。

ええ?!
昔、お好み焼き屋の店主と喧嘩してたの誰でしたっけ??

おばが年をとって丸くなったのか、
私が年をとってキレやすくなったのか。


すぐ横に関門橋がかかっている
海峡の一番狭いところ
源氏と平氏
砲台

壇之浦古戦場跡(みもすそ川公園)はこじんまりとしていたが、ロケーションは良く、かつての平氏も、長州もこの海を見てどう感じたんだろうかと、思いを馳せずにいられない。

すぐそこに九州が見えていても、「これまでだな」と思わせるのに十分なほど海は荒々しいし、
「ここは俺たちの海だ」と当然のように思っていた場所を、外国船がばんばん通り過ぎていくのはさぞ腹立たしかろう。
(ひとんちの庭を、よく平気でずかずか歩き回れるもんだと私でも思う)

帰りは海底トンネルで



花火に、海に 

インドア派の私は考えるだけで疲れてしまうのだけど、今回はおばあちゃんがいるから、
しかもトライアスロン🚴をやるおばあちゃんがいるのだから、
海遊びは全面的に任せたい。

大いに楽しんでくれ
ちゃぷちゃぷ

海開きしたばかりの百道浜の海岸で、私は足首まで浸かりながら息子を写真におさめるのに忙しかった。
砂浜を歩くと気付かぬうちにバランスを取ろうとして、インナーマッスルを使うらしい。
これだけでトレーニングになるんじゃないか?

息子は唇を青くして、歯をガタガタいわせてもなお、「まだ泳ぐ!」といって聞かない。
流石に一回上がりなさいよと、お菓子で釣って、体を拭く。
おばはまだ体力が余っているらしく、「泳いでくる」といって、遊泳区域のブイまでまっすぐ、ブイに沿って端まで行ってUターンを繰り返していた。

二人とも元気ですなぁ。
良いことですけれど。

ドンキで花火を買ってきた
花火なんていつぶりだ?

浜辺では高校生くらいの男の子女の子達が、キャッキャ!と花火に興じていた。
青春をMVに撮るならまさにこんな光景だろう。
私は捻くれた女子高生だったので、この輪の中に入れたかはわからないけれど、大人になった今、彼ら彼女らを見ていると切ない。
それは自分の若い頃を思い出して切ないとかそういう感情ではなくて、
7日で尽きてしまう蝉の鳴き声を聞くような気持ちだ。
「あぁ、この子達もこれから色々な困難にぶち当たっていくのか‥、大変だなぁ‥」
「何も知らずにいられる最後の時間なのか‥」
と勝手に思ってしまうのである。
大きなお世話である。
おばちゃんにこんな事思われてると知ったら、彼らも心外だろうな。
(すみません)

息子とおばは翌日も海泳ぎを楽しんだ。


おい、嘘だろ  福岡のおじいちゃん先生再び

明後日には東京に帰るというのに、再び顔が四角く腫れた。
夜中に暑苦しくて目が覚めて、嫌な予感しかしないまま鏡を見ると、
もう四角かった。
今回は前回とは反対の右側が。

おい、
私の身体、
おまえ

随分と器用なことするな。
なぜそこまで対称性にこだわる。
いいんだよ、そういうのは。

以前ほど痛まないけれど熱をもっていて、放っておいたらヤバそうな感じがする。
翌朝私の顔を見ておばも

「病院行って来たら?」

と言った。
(ですね)

福岡のおじいちゃん先生のもとへ再び赴くと、今回は何人もの患者さんで待合室がうまっていた。
高齢者もいるし、子供を連れたお母さんもいる、サラリーマン風の男性も。
平日にこれだけ人がくるって、隠れた町の名医かも。

診察室に入るなり、そのおじいちゃん先生は言った。

「あれ?!あんた。まだおったと?」

「はい。二週間ほど前に診ていただいたんですけど」

「治りきらんやった?」

「いえ、治ったんです。治ったんですけど、今度は右が…」

「今度は右、本当だ。…あんたも珍しか人ね。」

患部を触診しながらうんうんと大きく頷くとおじいちゃん先生は言った。

「前回ほど痛そうではないけれど、薬ば三日分出しときますけん。これでよーなると思います。痛み止めは?」

「ありますあります。」

「では気をつけて帰ってください。」(ニコッ)

お礼を言って医院を後にすると、なんだか半分治ったような気になった。
おじいちゃん先生の柔和な笑顔に触れて不思議と安心する。
待合室にいた患者さんたちも、あの笑顔を信頼して来ているのかな。

ほらぁ、やっぱり名医なんじゃん?

結局今回も薬が効いて、三日後には完治した。


思い出にも二つある

備忘録のつもりで今回の旅のことを書いてきた。
書ききれなかったことはフォトブックを作って、残しておこう。
息子にとって初めてだらけの旅は、終わってみれば結局、親の私の思い出を増やす旅だったと思う。
息子のためにと思って頑張って色々連れて行ったけれど、それは全部私がやりたかったことだ。

彼は今回の旅のことをほとんど忘れてしまうだろう。
それでいい、
朗らかにどんどん忘れていったらいい、そう思う。

思い出にも二つあるんじゃないかしら。
ふとそんな事が頭をよぎった。

折を見て思い出す、
美しい絵画のような。
暖かい絵画のような。
暗く胸が詰まる絵画のような。
自分の外側にあり、眺めることのできる思い出と、

一方で、自分の中に内在する思い出が、あるんじゃないだろうか、と思う。

心のスクリーンに何度となくに映し出される、
何度も何度も反芻し、その時その時の自分の意思決定に影響するような、
共に走り続ける思い出が。

楽しい思い出でも、苦しい思い出でも、
外側に眺められる思い出なら、それはきっと成長と言えるのではないか。

内側に再生され続ける思い出は、
良くも悪くも傷と呼ぶのかもしれない。


息子がこれからどんな人生を選択し、何を自分の思い出とするのか、私にはわからないけれど、
親である私はどうしても、「わざわざ苦労など買わず、楽しく気楽に生きていければいい」と願わずにいられない。
よその子のことは知らないけれど、うちの子だけは、幸運に恵まれますように。

親とは、つくづく保守的でずるい生き物だなと思う。


だが自分のこととなると、どうだろう。

わざわざ苦労を買い、わざわざ喧嘩をして、
「自分もたいがいアホだなぁ」と思ってでも、


傷だらけの老兵のように死んでいきたい、と感じてしまうのだ。




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