褒める、褒める、褒める

相手が成長してほしいと思うときに、褒めることは大切か。もちろん答えは、YES、大切である。

僕が関わる団体では、褒める文化が(特に最近)普及してきているように感じる。それは心地いいなと思うし、自分はしてこなかったなと反省するときもある。

でも。

その一方で、危うさも感じてならない。

どんな危うさか。褒めることの本来のパワーが薄れている気がするのだ。もしかしたら、そのパワーを小分けにして使ってしまっているとも言える。

そもそも僕は、褒められたい人がはっきりと心の中に浮かんでいることが多い。

もしかすると、意識的にそういった人を作り上げているのかもしれない。

とにもかくにも、「この分野なら、この人に褒められたい!!」というのが心の中にあるのである。裏を返すと、その人以外に褒められてもそれほど心に響かないのである。

じゃあ、自分が褒める側になったとき、はじめて自分は何をすべきか、問いかけてみる。そうして出た答えは、「自分が、関わる人にとって、褒められたい人になること」だった。

そこで実際にしたことは、むしろ簡単に褒めないことだった。とりあえず褒めることは小綺麗で、必要に見えるが、本当に褒めたいときに相手に届かなくなることを忘れてはならない。

あの人に褒められたいと強く思う気持ちは、普段なかなか褒めてくれないというじれったさみたいなところがあると思う。

それを乗り越えたとき、褒められることで、その経験は何よりもその人自身の糧になって、強さとなって、優しさになると信じている。

どうか褒めることを安売りしないでほしい。褒めることは、ときに人を強く動かすことができる一発勝負の武器であることを感じてほしいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?