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材木はどこから持ってきたの?①

いらっしゃいませ!
我が家に代々伝わってきた江戸時代の普請帳の中身を、令和の事務員がエクセルで紐解く話。第5話目(全15話)です。■初めから読む


江戸時代の建て替えの話の続きです。材木を30万円ほどで仕入れたようです。(前記事「家を建てよう!材木を仕入れよう!」をご参照ください)

  1. 表紙

  2. <材木調覚>材木の仕入れリスト ←今ココ

  3. <受卸之事>こんな工事しました

  4. 工事カレンダー(大工さん)

  5. <銀払之覚>工事費用と明細

  6. 工事カレンダー(村人)

  7. 新築祝いリスト

今回は、材木の調達先が、どこらへんなのか地図で調べてみようと思います。場所を調べる前に・・・。


材木の運搬方法について

クレーンもトラックも無い時代に、大木を何本も運ぶってどうやってたんでしょうね?

とても分かりやすいサイトがあったので、ご参考ください。(外部リンクにとびます)

つまり、木をバーンと切って、枝とかをバーッと落として、ザーっと川から運んだんですね。(←関西人に何か聞くと、だいたいこういう回答になる)

杣人(そまびと:木を切って運ぶ人)の仕事は命がけ!!

では、調達先を地図で調べましょう!
まずはオールスター☆から。

オールスター☆(高級な方)

普請帳には、こう書かれていた!

一 栗の木六本 代拾八匁 矢井山 


結構ご近所さんです。


一 松木四本 代拾八匁 山根山
一 大松壱本 代拾四匁 同

本当にこんな遠くから持ってきたの?と思うくらいの距離なのですが、「広島県 山根」で検索すると、ここしかヒットしないんですよね。

資料を見ると、家の正面側の柱は松を使い、その他は栗を使用していたようです。この松の木は、家の正面を飾る重要な松だったのではないかと思います。


一 栗の木壱本 代拾匁 矢のち 藤七跡

「矢のち」は「矢野地」で、ご近所さんなのですが、問題は「藤七跡」。
たぶんなのですが、「藤七」は人の名前のような気がするのです。
なぜなら、後で「関係者名簿」と「頂きもの」のリストに「勘三郎跡」、「和介跡」、「茂平跡」という人がいるんですよね。
でも、「跡」ってなんやねん!?という話なのですが・・・。

何となくですが、時代を考えると「故」の意味なんじゃないかと思ってます。勘ですが・・・。

ここまでがオールスター☆です。
次の記事で「凡」の調達先を調べたいと思います。

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