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小説・うちの犬のきもち(20)・仕事論

「ハル君、この前、ぼくの仕事って、何かなって考えたんだ。最初は、パトロールとか、遊んだり食べたり寝たりすることだと思ったんだよね。え、それだけって、思うでしょ? ことばにするとそれだけのことかもしれないけど、ことばにならないこともたくさんあるんじゃないかな、って考えたんだよ。

人間の仕事は誰かに認めてもらってお金をもらうとか、お金をもらわなくても誰かの助けになっているとか、ただ自分のための作業であっても、何かしらの行為であって、ことばで説明できる動きがあって初めて仕事って呼べるかもしれないけど、そうじゃない仕事も存在していて、ぼくのはそうじゃない方かなー、って。えへへ」

思っていることを正直に伝えようとすると、どういうわけか恥ずかしくなったから、最後にえへへとごまかした。

「へえー」

君にしては考えたね、って顔をして、ハル君は紅茶をひとくち飲んだ。紅茶はハル君が淹れてくれた。

「ぼくは人間のお話はいっしょうけんめい聞くし、遊んで欲しいときに人間が遊んでくれないことも、じっとがまんできる。ぼくの健康診断とか注射とかそういう用事で病院に行くときも、がんばっている。そういうのも仕事じゃないかな」

「いい仕事しますね」
「いやーえへへ」

「ハル君はどう思う?」

ハル君は紅茶のカップを持ち上げて降ろした。薄い陶器のカップは白くて、青い花が描かれている。
「君の言う仕事というのは、いわば業、だね」
「ゴウ?」
「その生き物の役割を定義する」
「うん?」
「すべての生き物に価値があるとする説だよ」
「説?」
「うん。そういう考え方もある、ってことさ」
「? あるひとつの考え方」
「雨が降る、みたいな共通の真理じゃないっていう意味で、いっこの考え方と言えないか?」
ぼくが分からない顔をしているから、ハル君は続けた。
「雨に降られている人には、雨は確かに降っている。客観的にも降っている。でも、ボクら室内犬の仕事については、あるという人もいれば、気楽でいいわね、という人もいる。それと同じさ」
今日はくもり空だ。どこかが梅雨入りしたとか、もうすぐ梅雨入りとか、おばあちゃんが話していた。
「うーん、そうかも」
ぼくは正直いってよく分からなかったから、分かったような分からないような返事をしておいた。
「まあ、いいさ」

ハル君はあたまが良いし、何でも知っているし、おだやかで、ぼくの顔を見た瞬間ガルガル吠えたりしない。だからぼくはハル君とのおしゃべりを楽しみにちょくちょくハル君の家におじゃまする。ハル君はぼくがうまく伝えられないことも分かってくれるから、ぼくは自分でもよくわかっていないことを話してみて、ハル君がそれを理解して、ことばにしてくれると、なぜだろう、とても気分がよくなる。

それが今日はどうだろう。ぼくは困惑した。他でもないハル君に分かってもらえない、と思うと、ほんのちょっと焦った。かと言って、ぼくのまとまらない気持ちをさらに話すのはぼくじしんも混乱するし、きっとハル君も分かってくれない。分かってくれないのは、たぶん、ととてつもなく寂しいに違いない。

ハル君は何食わぬ顔をしてまた紅茶を飲んだ。舶来品だという紅茶とカップだ。

「ほんとうは分かっているつもりだよ」
「え?」
「君がどう思っているかだよ」
「うん?」
「でもボクもそれを上手く説明できないんだよ。言葉にしてみると、『どんな命も尊い』とか、抽象的すぎて、つまらないものになってしまうんだ。ボクの勉強不足だよ」

ハル君にもにもそういうことがあるんだ。ぼくは、なんだかちょっと嬉しくなった。嬉しいのは、ハル君にも説明できないことがある、ということじゃなくて、ぼくが重要だと思っているけど説明できないぼくの仕事についての話を、ハル君も大切に考えてくれているような気がしたからだ。
「ハル君、ありがとう」
ハル君は目でどういたしまして、と答えた。

それからふたりで、紅茶を飲み、おやつのクッキー(これにはブルボンって書いてあった。ママンも好きなやつだ)を食べ、ハル君の家のあじさいの花を眺めた。

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