小説・うちの犬のきもち(19)・仕事
ママンは会社で働いてお金をもらわないと生きていけないみたいな言い方をする。ママンの現実はそうなのだと思う。休日出勤したり家に仕事を持ち帰るママンに不平不満を言うと、パパンが、しーちゃん、ママンがこうやって頑張っているから、しーちゃんも美味しいごはんが食べられるんだよ、とか言う。そういうのを「昭和」って言うらしい。ハル君に聞いた。
パパンが言うことは、パパンの本心でもなければ、ママンの本心でもない。パパンは、ママンが本当はちゃんと休みたいのに、うまく出来ていないと悩んでいるのを知っている。ママンに気を遣って、頑張っていると説明する。ママンは、ただただ、仕事だから片付けないと会社にもクライアントにも申し訳ないと思って働いている。時間内に終わらないことで追い詰められている。でも、もう少し時間ができると、ママンは、そもそも仕事が好きだっけ、とか悩み始める。働くことと、お金をもらうことは好きだし、仕事自体はやってみればそこまで嫌いではない、と思うけれど、雇われるしかできない、とか、もっと誰かの役に立ちたいとか、一度きりの人生で、これで良いのかな、とか、何か他に好きなことがあったのではないかしら、などと悩み始める。ママンという人は真面目と言われるけれど、根っこの部分では、仕事がそれほど重要ではない。それなのに働き過ぎループに嵌まりがち。仕事しすぎと劣等感はセットなのかもしれない、とぼくは思っている。今度ハル君に聞いてみよう。
一方のパパンは好きなときに好きなだけ仕事をして、それをもの足りないとかは思わない。それ以外の時間はなにやら勉強したり空手道場に行ってみたりぼくとのんびりしたり充実している。そういう暮らしを、パパンの学生時代の同級生とかは、ひとことめには羨ましいと言うけれど、すぐに、自分には出来ない、と言ったあと、却って自分の会社の地位などを誇らしく思ったりするらしい。
パパンのように誰かにどうのこうの言われるのがママンだったら、とっても気にして、自信を無くしたり、不安になったりして、右往左往して、みんなと同じような生き方をして、さらに働き過ぎてしまうけれど、パパンは基本的に何とも思わないのだ。
仕事ってなんだろう、ってぼくは思う。
お給料をもらうことだけが仕事じゃない。しなければならないことも、仕事だ。
たとえばおばあちゃんは庭仕事をする。誰に頼まれたのでもないし、もちろんお給料もでないし、でも、庭は手入れしないと大変なことになるのをぼくも知っている。
家事だって、仕事って呼ぶかも。
ぼくにとっての仕事は、ぼくであることのような気もしている。
みんなに朝の挨拶をして、おりこうちゃんにして、お散歩で近所をパトロールし、朝ご飯を食べ、家の中から外をパトロールして、夕方のお散歩まで昼寝をしたり、遊んだりして、夕ご飯をたべ、パパンとママンを出迎えて少し遊んで、夜パパンとママンと寝る。それが仕事。
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