見習与力から筆頭与力へ
文化十二年(1815)、町奉行北組の見習与力高橋鉄次郎は五番組の筆頭与力だった父八郎右衛門の明跡に入ると、まもなく同心支配役、すなわち筆頭与力に任じられた。筆頭与力といえば、指揮官たる町奉行(頭)の下で、三十人ほどの部下(組与力同心)を束ねる分隊長(組頭)の役割だ(※1)。年功序列が徹底する江戸の役人社会で、父の跡を継いで見習から本勤になったばかりの鉄次郎がどうしていきなり筆頭与力になれたのだろうか。もちろん理由はあった。このとき、鉄次郎は見習になって、はや四十一年。来年に