瀬田琉次郎

おもに江戸のもろもろを気が向くままに書き散らします。 足軽ネットのブログ(江戸雑記録)から少しでも興味をもってもらえそうな記事を改稿するなどして、こちらにも掲載していきます。

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  • 古地図で遊ぶ、江戸を歩く、妄想する

    古地図でいろいろ遊んで見ませんか。

  • 江戸の町奉行

    江戸の町奉行所について、あれこれ綴っています。

最近の記事

幻の繁華街「中洲新地」のこと

 江戸で一番の盛り場といえば、両国広小路であろう。しかし、来年の大河(2025年放送予定の『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』)の時代、両国をも凌ぐ幻の繁華街が二十年にも満たない短いあいだではあったが、江戸に存在していた。それが「中洲新地」である。  それではまず、江戸切絵図で中洲新地があった場所を確認しておきたい。図1の右上に見える新大橋の下流で、浜町に隣接する三俣と呼ばれるあたりだ。とはいっても、嘉永三年(1850)の切絵図だから、中洲新地はすでにない。  それでは、徳川幕府

    • 熈代勝覧に描かれている場所

       江戸下町の中心部を描いた熈代勝覧(名橋「日本橋」保存会)を楽しむために、そこに描かれている場所を確認しておきたい。  江戸切絵図の『日本橋北神田浜町絵図』だと、図1にある二つの赤丸のあいだの区間ということになる。赤丸の上は今川橋、下が日本橋である。  徳川幕府が編纂した『御府内沿革図書』の「索引図」(東京市史稿市街篇38の附録)では図2の位置になる。  二つの赤丸は図1と同じ。図の中央にあるのはいうまでもないが、宮城(戦前の皇居)である。  Googleマップで見ると、

      • 見習与力から筆頭与力へ

         文化十二年(1815)、町奉行北組の見習与力高橋鉄次郎は五番組の筆頭与力だった父八郎右衛門の明跡に入ると、まもなく同心支配役、すなわち筆頭与力に任じられた。筆頭与力といえば、指揮官たる町奉行(頭)の下で、三十人ほどの部下(組与力同心)を束ねる分隊長(組頭)の役割だ(※1)。年功序列が徹底する江戸の役人社会で、父の跡を継いで見習から本勤になったばかりの鉄次郎がどうしていきなり筆頭与力になれたのだろうか。もちろん理由はあった。このとき、鉄次郎は見習になって、はや四十一年。来年に

        • 北町奉行所の「北町」とはどこか

           江戸に「北町」なんていうところはどこにもない。だとしたら、「北町」とはいったい何なのか。  身も蓋もない話ではあるが、江戸城の東にある官庁街(大名小路。いまの丸の内エリア)の「北」寄りに番所(役所)があった町奉行だから、「北(の)町」奉行というわけだ。「町」は場所ではなく「職(町奉行)」を意味している。  番所がそれより南にあれば、「南町」奉行と呼ばれたし、町奉行が三人いた時代(注1)には南北両番所のあいだにあった番所の頭(奉行)は「中町」奉行と呼ばれた。 注1)元禄十五年

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          3本
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        記事

          隠密廻り同心の真実

           隠密廻り同心というと、悪党の巣窟に潜入し、悪事の証拠を探り出して、巨悪を退治する、そんな時代劇のヒーロー・ヒロインを思い浮かべる人も少なくないだろう。では、彼らは実際にはどんな人たちだったのか。本稿では史料から彼らの横顔を探ってみたい。乳幼児期の試練(注1)をくぐり抜け、成人しても、五六〇代で亡くなる人がまだ多かった時代の、スーパーお爺ちゃんたちのお話。  元町方与力(注2)の編著になる『江戸町方与力』によれば、隠密廻りの職掌は「奉行ニ直属シテ秘密探偵ノ事ヲ掌ル」とある。万

          隠密廻り同心の真実

          公卿補任(正暦六):権力者の系譜

           正暦六年(965)、二月に改元して長徳元年の『公卿補任』はこちら。 年初の陣容(公卿) 01:関白   正二位  藤原道隆(43)  ※藤氏長者 02:左大臣  正二位  源重信(74) 03:右大臣  正二位  藤原道兼(35)  兼右大将 04:内大臣  正三位  同伊周(22) 05:大納言  正二位  同朝光(45) 06:同    同    同済時(55)  兼左大将、皇后宮大夫、按察使 07:権大納言 従二位  同道長(30)  兼中宮大夫 08:同    

          公卿補任(正暦六):権力者の系譜

          南北三廻り同心録(寛政3~天保13)

           どれだけ興味をもっていただける方がいらっしゃるのか分かりませんが、寛政3年から天保13年にかけての江戸南北両町奉行所の三廻り(隠密廻り、定廻り、臨時廻り)同心の名簿をアップしてみます。  このファイルは町奉行所の職員名簿(『旧幕府引継書』)や『町鑑』等をもとに作成していますが、誤写や誤字脱字などもあろうかと思います。内容の正確さは保証しかねますので、それを踏まえてご利用ください。  もともと廻り方も有徳院(吉宗)のころまでは「町廻り」しか存在しなかったようです。それが管轄地

          南北三廻り同心録(寛政3~天保13)