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廊下の果て

コンビニで老人がタバコの注文をしていた。

レジ後ろのタバコ見本を指差して
「あれ、あれ」と言っている。

「バンゴーデイッテクダサイ」
外国人店員はまだ日本語に慣れていないらしい。

「番号は見えないんだ」と老人。

それだよ!
年寄りは文字が見えない。

遠くも見えないが、近くはもっと見えない。

チケットの文字なぞ鬼門だぞ。

というか、チケットの文字はいつからこんなんなったの?

豆粒文字!

その昔、こんな文字は読んでも読まなくてもいい市販薬の説明書にしか使われていなかった。
(いや読まなきゃいけませんよ)

気がつけばいつの間にかチケットも値札も一切合切このフォント。

インクの節約か!?
見えないんだよ!!
インクぐらいけちけちすんな!!

家では虫眼鏡で文字を確かめられるけど。
会場に行って席に座る時が厄介なのだ。

白髪頭ばかりが集う落語会場なんて阿鼻叫喚の地獄絵図だぞ。

係員あっち行ったりこっち来たりの大忙し。

まずチケットの文字が読めないのが第一関門。

これはたぶん大須演芸場
名古屋だぎゃ~

座席の番号がどこにあるのか、わからないのが第二関門。

座席の背後か。
座席上の厚み部分か。
座面(座る部分よ)の厚みの場合もある。

座面が折り畳んである時には読めるけど、客が座ると脚に隠れてしまう部分である。

これが問題なのだ。
客が座ってしまうと番号が読めなくなる。

遅れて行っても人の股ぐら覗き込むわけにもいかない。

いちいち客にそこが何番か訊いて回らなきゃならない。

肘掛け部分に番号が付いている会場もある。

これも客に言って手をどけてもらわなきゃならない。

この緞帳は確か東山魁夷だったような
さてどこのホールだったか?

いつも思う。
こういう会場をデザインする人って観劇したことあるの?

特に公共施設。

おまえら何考えてんだ!!
という不便極まりない施設が多々ある。

未だに御上が下々の物に有難いものを見せてやる!
と言わんばかりの感覚で造られている。

どちらかといえば舞台に立つ側基準。
(それも大切ではあるが)

見る側が着席までに難はないか、視界は良いかなど殆ど無視!
(もちろんトイレ問題もある)

そもそも客席を前後左右揃えて並べる感覚からして、どうなのよ?

舞台から見りゃ、客が整然と並んでいて美しかろうさ。

客は前の人の頭が邪魔でろくに舞台が見えない。
斜めに首を伸ばして見るしかない。
(私のように低身長だとほとんどそれ!)

なぜ座席を互い違いに並べるという発想がない?

市松模様だよ!
市松模様!!

よく見たらこの会場の座席は
市松模様だった
さてどこのホールだったか?

その点さすがに商業演劇の施設は考えられている。

たとえば池袋の東京芸術劇場は客席が市松模様である。

劇作家、役者でもある野田秀樹がデザインに関与したらしい。
客席が見やすい!!

ただ会場が薄暗い……。
いや、芝居の世界に没頭するためだろう。
あえて明りを落しているのはわかるが……。

年寄りは足元が見えにくいと不安なのだよ。
(あれ?ここも公共施設だった)

いや、話がたいそうずれた。
座席番号を探す話だ。

そうしてやっと座席の番号のありかを発見する。
けれど会場が薄暗ければよく見えない。
まして老眼はそもそも字が読めない。

着席するまでが一苦労である。

両国国技館 さだまさし年越しライブ
方向音痴には迷宮だった

やれ、うれしや。
と座席についた老人は、安堵のあまり眠ってしまう。

落語を聞きに来たのに!!

気がつくと仲入りまでの演目が夢の向こうに消えていたりする。

年寄りはすぐに眠りがちだが。
永遠の眠りでなかったことを神に感謝しよう。

う~む。
どうもこの文章は……あれだ。

老人が新聞の投書欄に投稿する文句のようだな。

〝ようだ〟どころか〝そのもの〟だな。

2024年6月30日惜しまれつつ閉館する
札幌の道新ホール

まあ、そうなんですよ。

人は年を取って身体が不自由になるまで気づかない。

世の中の様々なものが若い健常者向けに出来ていることに。

近頃はエスカレーターのない地下鉄駅の階段に怒りすら覚えるしな。

廊下の果ての苦言である。

って、ちょっと待て!!
何を誤変換しているんだ!?

老化の果ての苦言である。


どっとはらい。


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