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昨日は猫の日

昨日2025年2月22日は猫の日だったが、それとはまるで関係ない話である。
(写真だけ猫の日)

長屋の古狸の杢兵衛さん的老婦人が亡くなったらしい。

数日前から階下の部屋でガタガタと何やら片付けをしているようだった。
娘さんと思われる女性とその夫君らしい男性が細々した道具を片付けていたが。
いよいよ運送屋も来て、完全に荷物を撤去するようである。

娘さんがいらしたので伺ったところ、老婦人は年初に亡くなったそうである。
癌で入院すると言ってらしたのが昨夏の初め。
すっかり痩せてもう帰って来ないかと案じたりした。
けれどまた退院した姿を見たのだが、このところまた見かけなくなっていた。

黒猫とわたくす

とうとう向こうに旅立たれましたか。
そうでしたか。

わりと最近までこのアパートで一人暮らしをされて、本当に末期だけ娘さんの家に引き取ったとのこと。
悪くない最期だったと思うのは他人の私。
だって、一人で暮らしてパートで働き、時に近所のマダム達とお茶をして、嫁いだ娘たちとランチをして……ちょっと理想的に思える。
すみません。

というか。
ナンダロナ?

私はこの長屋に引っ越して来てから、何故か住人達と言葉を交わすようになっていた。
少しだけだが。
まあ、もともとが無口な人間であるから「お早うございます」「こんちには」だけでもよく話したことになる。

引っ越し当初、家の外の自転車置き場で喫煙する赤毛マダムがいた。
私が自転車で出勤する時なら「行ってらっしゃい」帰宅した時なら「お帰りなさい」と言ってくれた。

最初はぎょっとしたものである。
これまでずっと賃貸暮らしだったが、そんな事を言われたことはなかった。

何なら、小学生以来のような気もした。
それに慣れて「行ってきます」「ただいま」と言う頃に、その赤毛マダムは引っ越して行った。
少し寂しかった。

あの古狸の杢兵衛さんマダムが越して来たのはその後だったかも知れない。

私が古狸の杢兵衛さん的と言うのは、隣の一軒家に住む大家さんのマダムがヨガ教室など開いたのに参加したり、ご近所の同年代の老マダムの家にお茶に行ったり、なかなか社交的な様子だったからである。
時にはそこから得た情報を、私にもたらしてくれるのだった。

清華園の井戸と猫

ただそれだけで、私にとっては大変な交流だったわけである。

市民会館の落語会に一人で行ったのを同じ会場で見られたり、回転寿司屋を一人で食べてるところを、かの娘さん家族と食べている時に見られたり。

私が玄関掃除や草むしりをしているのを率先して「ありがとう」「いつもすみませんね」とお礼を言ってくれるのもこのマダムだった。

というわけで。
この長屋は階下二部屋が空き部屋になるわけだ。
そういえば階下の部屋が引っ越してもう数か月たつ。
お陰でこの冬は寒かった。

いや、そういう話ではなく。
階下の部屋の改修中、たまたまドアが開いていたので覗き込んだら、えっ!?
洒落たライトに綺麗な壁紙。

ここはどこ!?

私の部屋は四方の壁は黒ずんで畳はビンボのぼろぼろで、畳替えするはずの畳屋は倒産夜逃げしたのに……。
何と階下はもはや畳じゃなくフローリングになっている。

猫の宿替え?

ひょっとしたらあの老婦人の部屋も私の部屋よりきれいだったかも。
はっきり言ってこのアパートで最も古いのは私なんだから。
入れ替わるたびに整備改修される他の部屋よりぼろぼろで当然。
……なのだけれど、どうも釈然としない。
ずっと管理費払っているのに何も管理されていない。

私もそろそろ私もこの辺でドロンしようか?
などと思った猫の日だった。


どっとはらい。

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