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虎の威

※4,815文字

大学病院にて

白内障の手術をした。
日帰りで片目ずつ手術をする。

市内だが少しばかり遠い大学病院である。
病院というのはすべからく待つ場所らしい。
来る度に何時間も待たされた。

待っている間ずっと働く医療従事者を見ている。

すると何とも言えない感慨に捕らわれる。
変に懐かしい感覚に襲われるのである。

私は医者の娘である。

それを隠すようになって幾年月。

何と私は白内障手術をする年にまでなっていた。


実のところ私は、
医者は偉い!
医者は特別!
といった感覚を植え付けられずに育った。
(職業に貴賤上下の差別がないのは言うまでもないが)

強いていうなら、父の敗北感によるものかも知れない。

父親は大学病院の研究室に残りたかったらしい。
けれど望み叶わず町の病院に勤務した。
やがて田舎町で小さな医院を開業するに到る。

医者だから成功者!!
なのではなく、
町医者だから敗者!!

という感覚が私にも受け継がれたのかも知れない。
(どちらかといえば私は父親っ子だった。兄が母親っ子)

※町医者という言葉に不快感を抱かれた方には、お詫び申し上げます。
この先もこの言葉を使います。
悪しからず。

岩手銀行赤レンガ館 天井

なんて小理屈を並べることもないか。
単に世間知らずだったのかも知れない。

私は家は医者にしては変だと思っていた。

だってテレビや漫画や小説に出て来る医者の家庭は、もっとお金持ちでおしゃれでステキなのに。

家はちっともイケてない(死語)。
もっとも、そう思っていたのは家族の中で私だけだったかも知れないが。

「家なんか医者だからよー」
と外では虎の威で着ぶくれしていた兄である。
いや、あんた医者じゃねーですから。

いやいや、兄の話ではない。
私の話である。

小学生の思惑


小学校低学年の頃はまだ医者の娘を隠すことを知らなかった。
社会科の授業だったと思う。

担任の女教師に訊かれたのだ。
「江戸川さんのお父さんは何課に勤めてるの?」
私は素直に答えたものである。
「外科です」
「えっ?」
戸惑った女教師に、私は答えを間違えたのだとおろおろした。

岩手銀行赤レンガ館 入り口

けれど、
「江戸川さんのお父さんはお医者さんなのね」
と言われてほっとした。

私は答を間違わなかったのだ。
よかった。
「会社には営業とか経理とかいろんな課があって……」
と続いた教師の話である。

つまり一般的な会社の仕組みを説明するつもりが、病院勤務の親をもつ子供が出て来たから戸惑っただけである。

その日を境に女教師の私に対する態度が変わった。
気づいたのは大人になってからだが。

そもそも私は無口な子供だった(今も)。
教室では殆ど口をきかない。
けれど授業で指名されれば、ちゃんと答える。
つまり最も教師の記憶に残らない生徒なのである。

もし指名されても何も答えなければ〝問題のある子供〟として教師の記憶に残ったろうに。

だが私は〝医者の娘〟としてだけ、あの女教師の記憶に残ったのだ。

岩手銀行赤レンガ館 全容

女教師の手に何やら湿疹が出来て、
「江戸川さんのお父さんにお薬もらわなくちゃ」
などと授業中に口にする。

また私もクソ真面目な子供だから、その旨を父親に伝える。
診察もしないで薬を出す医者もどうかとは思うが、とにかく父は私に軟膏を持たせた。

女教師はそれを受け取って言ったものである。
「まあ、冗談だったのに」
後でお礼に何か可愛い小物をもらったような記憶はある。

やがてその女教師は病気になり入院した。
学級会で女教師のお見舞いに行くという話が持ち上がった。

「お見舞いに行きたい人」
と議長が言った時、教室の殆どが手を上げた。

だから私も手を上げた。
別にお見舞いになんか行きたくなかったけれど。
冷たい人と思われるのも嫌だし。

代表に選ばれたのは、学級委員長も務めたことのある女の子だった。
そしてもう一人、何故か私が選ばれた。

うそぉ!!
という気分だった。

青天の霹靂!!
という言葉はまだ知らなかった。

何しろ無口でおとなしい私である。
かつてこんな役目に選ばれたことはない。

岩手銀行赤レンガ館 フタ

後でその学級委員タイプの女の子に聞いた。
「江戸川さんはお医者さんの子供だからいいだろうってみんな言ってたよ」
他の子たち、つまり世間一般がそんな風に考えるとは思ってもみなかった。

何と言うか……度肝を抜かれたと言うか。

……びっくりした。

医者の娘だからといって見舞いが得意なわけがないのに。
というか、お見舞いなど生れて初めてだった。

自分はエリザベス江戸川(仮名です)という存在ではなく〝医者の娘〟という存在として認識されたのだ。

中学生や高校生の思惑

私は単なる〝医者の娘〟
それ以外に存在理由はない。

中学生になる頃にはそれはあからさまになった。
何となれば、父は長閑な田舎町で開業したのだ。

田畑の中にある江戸川医院(仮名です)である。
そして、私が通う中学校の校医にもなった。

私はエリザベス江戸川ではなく、単なる〝医者の娘〟になったのだ。

いや、長所であれ短所であれ何らかの特徴があれば違ったのだろう。

たとえば成績が良ければ〝優秀な生徒〟だったろう。
〝医者の娘〟だから当然だというやっかみがついて来たにしても。
だが私は成績はたいして良くなかった。

二つ違いの妹が中学に入学して〝優秀な生徒〟の役割を果たした。
さすが江戸川医院の娘だけあって成績が良い。
と言われたかどうかは知らない。
生徒会役員も務めた。

川越市の町並み

私はと言えば第二次成長期に入り、にわかに顔が可愛いくなった。
らしい。

「小さい頃はどうなることかと思ったけど。最近のエリザベスちゃんは可愛くなって。アイドル募集に応募しようって家の子たちが言っているのよ」
と言ったのは母方の伯母である。

それに対して私の母は何も言わなかった。
「いいえ。エリザベスは小さい頃から可愛かったわよ」
とは主張しなかった。

私は小さい頃から母に見捨てられていたのか。
そうかそうかそうだったのか。

顔が可愛くなったら急に自慢の娘になったのか。
そうかそうかそうだったのか。

いや、話がずれた。
毒親に対する毒抜きでした。
失敬、失敬。

ちなみに母方の祖父は歯科医である。

やはり田舎の町医者。

そこは母の兄が継ぎ、今は私と同い年の従兄が継いでいる。
他の従弟たちも医者になっているらしい。

って話がどんどんずれて行くな。

つまり私は代々、田舎の町医者のお嬢様であるわけだ。

本人医者じゃねーけどな。

川越のどこか

さてさて。

二つ違いの妹が同じ中学に入るに及んで、いよいよ私の地位は確立した。
顔が可愛い医者のバカ娘としての地位である。

妹はそれなりに賢かったし、生徒会役員にもなった。
それは既に高校生だった兄も同じだった。
中学、高校と生徒会役員をやっていた。

何度も言っているが、県内の第一高等学校に兄と妹は進学し、私は第三高等学校にしか進学できなかった。

ちなみに第二高等学校も存在するのだが、私はそこにも入れなかった。

県内の男子高校生は歌っていたらしい。

結婚するなら三高の生徒♪ 
お勉強するなら二高の生徒♪ 
遊ぶなら〇〇女子高の生徒♪

という具合に。


私はお嫁さん候補になる女子高に通ったのだよ。
だから何なんだ?

お嫁さんほど私がなりたくないものはなかったのに。
(何を複雑な否定文を書いているのだ)

しかも話はいよいよずれてるし。

明治座エントランスの天井

中学校の校医は健康診断もする。

第二次成長期の女子はそれぞれ胸が膨らみ尻も丸くなる。
男性医師にそんな身体を見られるのは、
「ああ、イヤだ」「恥ずかしい」「見られたくない」
女子生徒たちは口々に言っていた。

そして私に問う者もいた。
「江戸川さんは恥ずかしくないの?」
私は何も答えなかった。

父親に成長過程の身体を見せるなど誰だって嫌だろう。

だが私は「恥ずかしい」と口にする事自体が恥ずかしいと思っていた。
何と言うか……。
逆に色気づいていると言うか……。

東京ステーションギャラリー天井

だからいざ健康診断になると、聴診器を手にした父親の前で自らがばっとブラウスの前を大きく開いて見せたのだ。

うつ向いておずおずと前を開くなどという真似は、むしろいやらしくて恥ずかしいと思っていた。

これを性的虐待と言うのは違うのかな?
毒親の毒抜き……ではないか。
(まあ、他にも診察をされたこともあったがそれは置く)
けれど、やはり嬉しくはなかった。

ええ?
医者の娘として贅沢に育ったんだから、それぐらい我慢しろ?

はい。さーせん。


医者の娘その後

そして大学、社会人と続く私の人生だが。
ある時点で気がついた。
親が医者だと言わない方がいいと。

高校生の時、家のある田舎町とは離れた市内のバス停で、たまたま中学の同級生に出くわしたことがある。
彼女は一緒にいた友だちに私のことを、
「江戸川医院のお嬢さん」
と紹介した。
「中学時代の同級生」
ではなかったのだ。

事程左様に私は〝医者の娘〟としてしか認識されていなかった。

上野松坂屋エレベーター

今はどうだか知らないが、就職の面接では必ず親の職業を訊かれたものである。

私は正直に〝医者〟と答えた。

たちまち社内でも私は〝医者の娘〟である。

個人情報保護法ってヤツが出来たのはつい最近のことだけど、あっても何の役にも立たないね。

面接の情報が漏れなくても、
「江戸川さんのおうちは何をしているの?」
という親睦のための会話で、
「医者をやっている」
私はバカ正直に答えていた。

するとたちまち、
「へえ! 医者の娘なんて初めて見た」
「江戸川さんて医者の娘なんだって!」
と私はまるで人寄せパンダである。

いや、これには但し書きが必要だろう。

たとえば、兄や妹のいた高校、大学、そして会社や病院ならばそんなことを言う人は少なかったろう。

その環境には〝医者の娘〟も〝医者の息子〟も普通に存在していたはずだ。

だが私がいた高校、大学、そして会社にそれらは存在しなかった。
(あるいはいたかも知れないが、私のように愚直に口にはしなかったろう)

エリートと一般大衆?
ハイソサエティと下層階級?

そんなような感覚の違いがあったように思う。

GODZILLA!!
庶民もハイソも等しく踏み潰す

実家に帰省するたびに、年を経るごとに、ああ私のいる場所とは違っていると思うようになって行った。

私は脱落したのだと否応なく感じるようになっていた。

だから尚更頑なに外では〝医者の娘〟と言わなくなって行った。

日本は平等だから、そんな差別はない。
エリザベス江戸川の差別意識が顕れたに過ぎない。
そう言われるかも知れないね。

でも散々〝医者の娘〟とパンダ扱いされた身にはそう感じられたのだよ。


そして親の職業を言わなくなって幾年月。

一昨年に両親とも亡くなり、実家の江戸川医院は取り壊された。

もう私は親の職業を隠さなくてもいいのだ。

と言うか………もし私が、
「親は開業医です」
と言ったところで、それを証明するものはもう何も残っていないのだ。

江戸川医院の写真もない。
少なくとも私のアルバムには。
(兄妹のアルバムは知らねど)

うっかりすれば痴呆の始まったBBAの妄想話と思われかねない。

だけど……

こうして病院の中に患者として身を置くと、何とも言えない懐かしさを感じるのだ。

いや別に実家がこんな大きな病院だったわけではない。
極小の町医者である。

けれど、空気が呼ぶのだ。

医者や看護師の醸し出すせわしない雰囲気が。
何とも言えない郷愁を誘うのだ。
自分が逃げ出した場所なのに。

私が居るべきは営利企業ではない。
こういった場所だったのかも知れない。
今頃になって思うのだ。

医者になるべきだった。
いや医者でなくてもいい。
医療従事者になればよかった。

あの空気の中にいたかった。
患者としてではなく。
(いずれそうなるにせよ)

そうだ。
来世なら間に合う。
来世はきっと医者になろう。

そして私を〝医者の娘〟としか見なかった連中を〝お医者様〟として見下してやろう!!

……って、おいこら!

すさまじく目標が飛躍しているぞ。

ともあれ、来世に期待するBBAなわけさ。


どっとはらい。


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