ばあちゃんのはんてん
寝具店の店先に綿入れ半纏がぶら下がっていた。
今時珍しいものを売っているな。
と手に取ったが買いはしなかった。
実は綿入れ半纏は案外肩が凝る。
二十代の頃、婆ちゃんが縫った半纏を着ていた。
信州に住んでいた父方の婆ちゃんである。
私と妹にお揃いで縫ってくれた。
黄緑色を基調としたチェック柄の洒落た布地だった。
和模様としては格子柄と言うのだろうか?
襟は黒い別珍だった。
当時一人暮らしのアパートで半纏を着てコタツに入り、背中にストーブを当てていた。
ある時、背中の焦げ臭さに気づいた。
半纏を脱いで見れば腰の辺りが焦げている。
布地が黒く焼け落ちて、綿が覗いているのだった。
だから捨ててしまった。
そのことがずっと心に引っかかっていた。
老眼で針の穴に糸を通すにも苦労する婆ちゃんが、一針一針丁寧に縫ってくれた半纏なのだ。
なのに何の手立ても講じずに捨ててしまった。
継ぎ当てをする、修繕に出す……いくらでも策は合ったろうに。
婆ちゃんが知ったらどんなに悲しむことだろう。
せっかく縫ってあげたのにと切なく思うに違いない。
だから私はそのことを誰にも言わなかった。
妹があの半纏を着ているのを見る度に胸がちくちく痛んだ。
鬼のような孫娘……と自責の念でいっぱいだった。
それから長い年月が過ぎ、私は捨て猫を拾った。
猫のおもちゃに〝蹴りぐるみ〟という物がある。
猫が蹴ったり噛んだりできる縫いぐるみである。
買い与えてもすぐにボロボロにする。
何しろ咥えて投げたり蹴ったりするのだ。
しまいには食い千切ったりする。
布地か破れ中の綿がはみ出している。
買っても買っても追いつかない。
そして私は〝蹴りぐるみ〟を手作りするようになった。
端切れを縫い合わせて中にマタタビをまぶした綿を詰めるのだ。
縫い目はガタガタの素人仕事だつた。
けれど、猫にはそれで充分だった。
出来上がったのを与えると、嬉し気に飛び付いたり齧ったりしている。
ボロボロになれば捨てて新たに作るのだ。
何個作ったかもう覚えていない。
ある時ふと気がついた。
満身創痍の〝蹴りぐるみ〟を見ても、私は別に悲しくならなかった。
せっかく縫ってやったのに……と切なく思うこともなかった。
むしろ、ボロボロになるほど遊んでくれて嬉しかった。
そうしてやっとわかったのだ。
もし半纏の顛末を語っても、婆ちゃんは悲しまなかったろう。
むしろ喜んでくれたろう。
手縫いの半纏を焼け焦げるまで毎日着てくれたと。
切なく思うのではなく、嬉しく思ってくれたに違いない。
そうかそうかそうだったのか。
猫のお陰でやっとわかった婆心。
久しぶりに半纏を見かけて思い出した。
どっとはらい。