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女子供老人vs成人男性

09:59のバスは老女たちで満員である。
10:00開店の駅ビルに買い出しに行くためである。
働き盛りの人々が知ることのない風景……。

……などと書いた後で思いついた。


働き盛りの男性は、働き盛りの男性しか人間じゃないと思っているのかも知れない。

〝女子供老人〟は人間じゃない。もちろんリタイヤした男性も人間ではない。
だからそんな者の利便性は考える必要はないと。


なればこそ、いざ自分がリタイヤしたら、
「ああ……人間じゃなくなった」
と激しく落ち込むのだろう。

世間では身ぎれいにして出歩くお婆さんより、薄汚れて引きこもるお爺さんのが多い(エリザベス独断)気がする。


何となれば男性は仕事を失うと、
「自分はもうマトモな人間ではないのだ!」
という思想が自分自身を圧倒してしまうから……かも知れない。
家事なんて〝女子供〟のやることに手を出すまでに落ちぶれたくないとの矜持もあるし。

〝女子供老人〟を除いた大人の男のためにこそ世の中はある。
成人男性は皆そう思ってるんじゃないか?
と、エリザベスは疑っているわけさ。

成人男性御用達キラキラビル

街が駅が学校がもちろん会社も、いや家の中さえ成人男性に都合のいいように出来ている。
そうでない者が多少の不自由を我慢するのは当たり前。

言葉にはしない。
不文律。
ホモソーシャルという見方も出来る。

ホモソーシャルとは、
〝男性優位主義を前提とした男性同士の連帯感〟
とAIさんは解説しています。

男同士は庇い合う。が、その中に老人は入っていない。

その思想が男性全般を覆っている。
……気がする。


成人男性は勉学に勤しんでいるからもちろん〝男女平等〟という言葉だって知っている。

言葉を知っているだけだ。

実際にそれが何なのか、実態はまるで知らないのだ。

でなきゃ、大学入試で女性だけ合格の点数が高く設定されているなんて、あり得ないでしょう?
それで〝男女平等〟だと思っているわけだ成人男性は。

他にもいろいろ細かい〝男女不平等〟が思い浮かぶが、ここでは控える。

どうせ書き連ねても、
「そんな些細なこと」
と一笑に付されるのが関の山だ。

人生は些細な事の積み重ねだぜ。
塵も積もれば山となる。

やがて〝成人男性〟から〝老人〟になって定年離婚されるお父さんはきっと塵も積もって山となるお母さんの心を全然見てなかったんだね。
ご愁傷さまです。

仕事が終われば街は静まる

この〝成人男性〟論で職業を見れば、すぐにわかることがある。

次世代を育てる仕事をしている保育士さんの給料が、何故あんなに安いのか?

年老いた老親の面倒を見てくれる介護士さんの給料が、何故あんなに安いのか?

〝女子供老人〟の相手をしているだけだから。

お遊戯をしたりお昼寝をしたり、踊ったり歌ったりするだけではないか!

経済的行為という〝成人男性〟がするような〝大切で尊い仕事〟ではないのだ!!

そんなものに高い給料を払う必要はない。

医師は〝成人男性〟の命を助けてくれるから給料が高くて当然である。
そんな〝成人男性〟の下請け仕事をする看護師はつまり〝女子供老人〟の仕事だから、給料は安くて良い。

……と思っているんだろうなあ。成人男性は。


いや、当該職業の皆さまごめんなさい。
言うまでもないけれど、職業に上下貴賤の差別なし。
保育士も介護士も看護師もみな尊い職業です。

なのに給料が低過ぎる。

だからあえて書きました。

本当にごめんなさい。

女子供のテレビ番組
その名も「おかあさんといっしょ」
「おとうさんといっしょ」は日曜だけ

〝成人男性〟が経済活動という仕事真っ最中の時間帯、午前中は道路に車がビュンビュン走っている。

そこを大勢の幼児を連れた保育士さん達がお散歩に歩いている。

あんな大勢の、いつ駆け出したり転んだり鼻の穴にどんぐり詰めて窒息するか(シャレでも何でもなく事実なのがまた恐怖である)知れない人間を、わずかあれだけの人数で見ている?

事故を起こさないか?

大丈夫か?

と、出会う度にはらはら見守っている。本当に命がけの尊い仕事だと思わずにはいられない。

この保育園児達のお散歩もオフィスに籠もっている〝成人男性〟には見えない景色である。

んん~。
話が随分と広がってしまったな。


つまり世の中とは、成人男性が口では〝男女平等〟と実態のないお題目を唱えながら成人男性のために作っているものである。

従って〝成人男性〟以外つまり〝女子供老人〟が不便を託つのは当然である。
というのが結論です。

穿ちすぎ?

有楽町駅前交通会館のクリスマス


どっとはらい。


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