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【猫や猫④】あれ以来外を歩いてばかりいる

ペットクリニックで子猫は猫缶を出されるなりガツガツと貪った。
獣医が言うには脱水症状がひどく、あと一日遅ければ命も危うかったらしい。
皮膚を摘んで脱水状況を確かめる方法を教わった。それは晩年、猫めが食事をしなくなった時に役立った。
別に役立って嬉しい技術でもないが。

今にして思えばあの時の缶詰は、ヒルズの回復期ケアa/dだったのかも知れない。
やはり晩年猫めが牙や歯を失った後もa/d缶を与えるとよく食べた。
味が好みだと思っていたが、あの時の味を覚えていたのかも知れない。
亡くなった後も陰膳に供えた。

【真夜中の横断歩道猫が行く】

猫缶の話ではない。
初めての診察台で子猫はまるで怯えなかった。
ただひたすらに猫缶を食べていた。
しかし虫下しを飲ませて通院するたびにクリニックを怖れるようになった。
診察台の上で耳を伏せて丸まってぶるぶる震えるようになったのだ。
しきりに私に身を寄せて来る。

恐怖のあまり固まっているから、予防注射の時も針を刺されても気づかない有様だった。
「おとなしくていい子ですね」
と看護師に言われたが、そのたびに私は違和感を覚えた。
いい子なのではない。怖がっているのだ。
「ああ、怖いねえ。すぐ済むからねえ」
せめてそれぐらいは言って欲しかった。
ともあれ。

猫が病院を怖がるようになった。
それは取りも直さず我が家が安全な場所になった証拠である。
ああ、この子猫はうちの猫めになった……何となくそう思った。
ほんのり嬉しかったかも知れない。

里親は現れないまま、子猫はすくすく育って行った。
少しばかり熱を出したこともあったが、その年の秋には無事去勢手術も済ませた。
言い忘れたが雄猫だった。
立派なタマタマは抜け殻となってしまった。
早々に去勢手術を受けさせたのは、発情期に部屋中にマーキングされるのを恐れたからである。
何しろペット不可の賃貸アパートだ。
猫餌の缶や袋を捨てる時には半透明のゴミ袋から見えないように色付きの袋などに入れていた。

それなのに他の部屋でも猫を飼っているらしく、ゴミ捨て場にはおおっぴらに猫缶が捨ててあるのだった。
いやそれどころか隣室では小型犬を飼い始めた。キャンキャン鳴く声がよく聞こえた。
けれど、みんながやっているからと平然としていられないのが私だった。
用心に用心を重ねて暮らしていた。

【めえめえとスケープゴートの鳴くおうち】

自分が実は真面目で用心深い人間だと初めて気づいた。
それまでの自己認識はただ駄目人間だった。
自己卑下の塊である。
人とうまく接することが出来ずにいじめられひきこもり会社を転々としてきた。

育った家庭にはスーパーヒーロー的お兄ちゃんがいて、マスコットのような妹がいて、私は駄目な子の役割だった。
(兄と妹が地元の第一高校出身で、私は第三高校出身と言えばわかりやすいだろう。ああ、ナンバースクールのくそったれ!)
家庭内の罠はぐるぐる回り続ける。
専門家の意見を仰がねば気づかないまま無限にぐるぐる回って一生引きこもり続けるところだった。
ああ無情。レ・ミゼラブル。

拾った子猫が私を助けてくれた。とまでは言う気はないが。


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