鬼大爆笑
来年のことを言うと鬼が笑うらしい。
五月末のこの時期に年末のことを言ったら?
やはり鬼は笑うだろうか。
大爆笑かも知れないな。
でも、思い出しちゃったから書く。
きっかけは、この質問である。
「どの落語家が演っても嫌いな話はありますか?」
考えているうちに思い出してしまった。
これである。
〝尻餅〟
これは艶笑噺だな……と私は思う。
剥き出しの女の尻を叩くのだ。
〝正月の餅〝というエクスキューズがあるから叩くのに躊躇はない。
イマジン……想像してごらん。
女房の白い臀部に叩く亭主の手形がつく。
女房の尻は叩くたびに赤く赤くなって行く。
薄紅色に染まったそれはやがて真っ赤になるだろう。
イマジン……想像してごらん。
紅い手形と白い肌とのコントラストを。
無垢なる肌は痛みにふるふる震えている。
イマジン……想像してごらん。
エロい……エロい……エロエロを。
寄席を出た男性客は岡場所に直行するに違いない。
いや男性客と断るまでもなく、そもそも寄席の客=男性だった。
昔は落語の寄席に女性客などいなかった。
そんないかがわしい場所に赴くのは、身持ちの悪いあばずれ女……と決まっていた(男どもがそう評価していた)。
だから寄席で女の尻が叩かれようがどうされようが、知ったこっちゃない。
男のエロエロ気分を盛り上げる為なら何だってあり!!
だったと思う。
その証拠に、こんな記事を読んだ。
「藪入り」は商家の小僧が番頭におかまを掘られる噺だったそうな。
男のエロ気分盛り上げのためには幼児虐待もトラウマも知ったこっちゃない。
イマジン……想像してごらん。
君のアスホールに番頭さんのナニが突っ込まれることを。
エロいかい?
今や「藪入り」は親子愛を描いた人情噺になっているけれど。
初代柳家小せん師匠よ、ありがとう!!
いや、かなりに話がずれてしまったな。
つまり私が「尻餅」という落語が嫌いなのは、そういうコンプライアンス無視の噺だから……
というわけでもない。
いや、それだけなら我慢できるのだ。
ただ尻を叩かれるのが嫌なのよ。
痛いのが嫌なのよ。
こっちはどうあっても叩く側じゃなく、叩かれる側なのだから。
そもそも落語を聞く人間は想像力が豊かである。
〝尻餅〟を聞く男のイマジンはエロだとしても。
女のイマジンは「痛い痛い痛い」だけなのよ。
痛みをわが臀部に感じてしまうのよ。
(あいにく私には、痛い=エロの趣味はない)
だから二重に嫌なのよ。
そして、落語の基礎知識。
落語家はその日、高座の座布団の上で何の噺をやるか決める。
〝ネタ出し〟という特別の公演でなければ、客は何の噺を聞かされるのかわからない。
だから私は年末に落語を聞いている時いつもそわそわしている。
いつ〝尻餅〟が始まるか!?
あの噺が始まったらどうしよう?
客席を抜け出そう!
ああ、でもこんな中央の席じゃ抜け出せない。
他のお客さんを押しのけて出て行くなんて無理。
結果〝尻餅〟が始まれば、私はひたすらうつむいて、噺が過ぎ去るのを待つしかない。
五月の今から年末の心配をしてしまう。
どうかどうか〝尻餅〟にぶち当たりませんように。
どの落語家がやってもこの噺は嫌なのだ。
たとえ推しがやったとしても。
(やらないでくれ!!)
落語家の皆さん、お願いです!
〝尻餅〟だけはネタ出しにしてください!!
そうしたら聞きに行かないから。
どっとはらい。