大吉原展に行かなかった
東京芸術大学大学美術館にて本日5/19(日)まで開催される大吉原展である。
とうとう私は行かないようである。
ほとんど他人事のようだが。
落語には吉原の噺がよく出て来るのだ。
その参考に見に行こうと思っていたのだ。
実は先日、根津のにっぽり館の帰りに寄るつもりだった。
けれどカヤバ珈琲のランチで満足して直帰してしまった。
ついでに根津のパンも買ってしまったしね。
根津にはパン屋も多いのだよ。
いや、パンの話ではない。
大吉原展である。
最終日は決死的に混むだろう。
避けたいものである。
で、結局行かないことになる。
この大吉原展は始まる前から女性の権利だか性の搾取だか、何やら難しいことで騒いでいて。
浅学で無精な私は、ろくに調べもしなかったけど……
ただ何となく……
私が見たくないなー、と感じる気持ちに近いものがあるのでは?
と推察した。
(あくまでも単なる想像なので合ってなかったらごめんなさいね)
だって……吉原って結局、男がヌクための場所でしょう。
※下品な表現をお許しください。
今回はこの手の表現をバンバン使います。
昨年、吉原で開催された落語会に行った。
そこで見た現在の吉原が、たぶん江戸時代の吉原の本質だと感じた。
実に殺風景なビル街だった。
私は早目に着いたので、どこかでお茶を……
と思って喫茶店を覗いたけど。
とても女が入れるような雰囲気じゃない。
後で落語家さんの話を聞いたところ。
ああいう喫茶店に入ると何故か目の前に女の子の写真を並べられるそうだ。
落語なら「上から三枚目」とか指名するところよね。
ヌイてくれる女を選ぶわけよね。
女にやらせず自分でやってろ!!
……って、いやすみません。
吉原の町を見学というか、お茶もできずに仕方なく歩いていると……
ビルの前に車が乗り付けて客と思しき若い男が降りて来る。
そしてちょいと怖そうなお兄さんに迎えられて中に入って行く。
この怖そうなお兄さんたちが、落語で言うところの〝牛太郎〟よね。〝若い衆さん〟
予約してヌキに来た若い客を出迎えたわけね。
徹頭徹尾、男がヌクための場所なのよ。
今の歌舞伎町も吉原によく似た町だろう。
でも電飾、音楽、呼び込みやらで賑やかにしている。
そうして本質を隠して、客を浮かれさせて金を落とさせる。
江戸時代の吉原だって同じことよね。
春には吉原の大通りに満開の桜の植木をずらり並べたそうですよ。
桜の花びら舞う中を、絢爛豪華に着飾った花魁が道中をするわけですよ。
それこそ江戸時代のエレクトリカルパレードよね。
現代のエレクトリカルパレードは女子供のためだけど、江戸時代のは男だけのため。
(花魁は女の流行の最先端とか言うけど、それは結果論でしょ?
男達が吉原に魅かれるなら、花魁を真似て自分らに惹きつけなきゃ!
「元禄・花魁のモテメイク!」なんてね)
そういう場所だと知っているんだから私は。
何も今更、大吉原展など見に行かなくとも……。
と思いはするが、何しろ落語には吉原の噺が多いのだ。
参考に見なくちゃ!!
という気にさせられる。
そう思い、思い、ついに会期最終日になってしまったわけだ。
また行った人たちの報告によると、辻村寿三郎が人形でかつての吉原を再現しているそうで。
辻村ジュサブロー!!
それはぜひとも見たい!!
と思ったわけです。
またも話は顰蹙買いに向いてしまったようだが……。
吉原ほど男と女で受け取り方の違う場所はないだろう。
だって客と売り物よ。
今回の大吉原展にしても、男はたぶん嬉し楽しい気分で見に行くのだろう。
現代にもこんなテーマパークがあればいいなぁ。
幕府公認だもんな〜。
楽しいだろうなぁ。
とか思いながら。
女は……いや私という女は、暗く嫌な気分で見に行くのだ。
落語の参考のために。
歴史を勉強するために。
だって江戸時代に私が生きていたとしても、吉原に行くとなれば働きに行くだけでしょう?
間違っても遊びには行かないでしょう?
花魁か芸者か女中か遣り手ババアか知らねども。
売られるのよ!
シクシクシク……
結局世の中は男が男のために作っているのだなぁと痛感する場所。
女は牛馬のごとく売られるだけの存在。
花魁が美々しく飾り立てられても、闘牛の化粧まわしと大差ない。
吉原がなくなったのは、売春防止法が施行された1957年(昭和32年)3月31日だそうですよ。
落語家の師匠方がよく高座で語っています。
実際に吉原を体験した落語家はもう数える程しか存在していない。
ちなみに今年も大吉原落語まつりは開催されるようである。
ご興味のある向きはぜひどうぞ。
やはり吉原について語ると私はイヤ〜な気分になる。
なので最後にもう一枚、ジュサブローうさぎをご覧ください。
どっとはらい。