幼児へ選択の責任を負わせることについて
はじめまして。猫川原えだまめと申します。
私は今20代です。
ふと自分の人生を振り返った時に、大きな波に溺れていた人生だったなぁと思います。
姉から
「人より変わった人生を送っているのだからエッセイでも書いてみれば?」
と勧められたため、このような文章を書くに至りました。
今回は今となっては私の記憶の大部分が薄く色褪せてしまっている時代。
私の4歳までのある事柄についてお話ししたいと思います。
皆さんに質問です。
幼少期、親から自身の人生に関わる事柄について選択を迫られたことはありますか?
私には2回、忘れられない選択があります。
その内の1つを今日ご紹介します。
私は関東地方某所に平成10年代に生まれました。
父母、姉2人の5人家族でした。
母は再婚で姉2人は連れ子だったため、私は父にとってたった一人の娘でした。
無事に生まれましたが、その後
数ヶ月にして病気にかかって入院したり、
元気になって姉のカセットテープをイタズラで全部ダメにしたり、
2歳半までの記憶はないですが極普通の家庭だったそうです。
変化があったのは2歳半。
ちょうど物心がつきギリギリ記憶があるかないかの頃。
母の外泊が多くなり、精神が不安定になりました。
狂言自殺を図ってお風呂場を真っ赤に染めたりととても大変だったそうです。
ある日父が帰宅すると、幼い私が家に一人きりでNHKの「いないいないばぁ」を見てました。
母は私を一人置いてどこかに行ってしまったのです。
私はテレビに夢中で何も感慨はありませんでしたが、父には衝撃だったようでした。
母が帰ってきたり、どこかに行ってしまったりの日々を過ごし、
私は3歳になりました。
ある日帰ってきた母は私に質問をしました。
「ママとパパは離婚することになった。
ママとパパどちらについて行きたい?」
母は子供に対しても大人が使う『離婚』という言葉を使っていました。
私が最初に覚えた熟語は『離婚』かもしれません。
私は迷わず答えました。
「ママがいい」
後に私の人生最大の選択ミスと考えるようになるシーンです。
単純な接触機会の多さから、仕事がある父より母に愛着を持っていましたが、
人生2回目、ブラッシュアップライフができるなら絶対に父を選ぶでしょう。
この選択の後、20年間私は父に一目も会うことができませんでした。
それから、家族で住んでいたマンションは引き払われ、
私はしばらく、ついていくと言った母とは暮らさず、母方の祖母の家に預けられました。
姉2人は他地方で暮らす、自身の父のもとに身を寄せました。
今後またお話しするかもしれませんが、私は母について行き、酷い目に遭いました。
たらればですが、精神的に安定した父について行けば、母とは断絶することなく程よい距離感で会うことができ、
経済的にも苦汁を舐めることにはならなかったのではないかと思っていました。
もちろん、父が豹変したり、再婚相手がとんでもない人という可能性もあるので、どちらを選んでも幸せになれるとは限りません。
ただ、その後の人生に関わる重大な決断を幼い子供にさせ、責任を負わせるのは間違っていると、私は思います。
私でなく、大人達が経済面・精神的安定・療育能力等考慮し、
適切に考えてくれれば最も良い結果になったのではないかと考えてしまうのです。また、私が成長してから後悔に苛まれることもなかった。
親は自主性を尊重しているつもりかもしれませんが、
判断力のない子供に選択させその後の責任を負わせるのは虐待と言っても過言ではないでしょう。
もしあなたが幼い子供を養育する立場にあれば、少しこの話を頭に置いておいていただければ幸いです。子供に大きな選択を任せるのは、その子の成長にもよりますが修学してからでも遅くはないです。あなた達大人の考える最善に導いてあげてください。
もしあなたが、幼い頃大事な決断を迫られて後悔しているのであれば、それはあなたの責任ではありません。大人の監督責任なので、大人のせいにしてしまいましょう。それであなたの心が少しでも軽くなるならそうしてください。
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