筆者紹介 〜生い立ちからライターへの道、「Editors talk」主催まで①
第2稿で中学時代の校長先生のことを書かせていただき、ここで筆者の自己紹介をしていなかったことを思い出した。noteはだいたい「はじめまして」の記事から始まるらしい。
いろいろ順序がおかしくなってしまったし執筆者の生い立ちなどどうでもいいと思うが、もしかしたらライター/エディターという職業に興味のある方もいるかもしれないので「Editors_talk」企画者の伊藤美保について自身で書かせていただく。
岩手県釜石市甲子町出身。年齢は、よく取材しているアーティストなどから推察を。
高校3年まで育った家の周辺は、見渡す限り釜石製鉄所の社宅。うちを含め、小・中学の生徒の9割くらいが製鉄所社員の子ども。少し歩いていけば山に登れたし川で釣りもできた。海岸までは汽車で3駅くらいで、近くはないがその代わり津波も到達しない地区。
東北の冬はひたすら長くて寒く、幼少期は家で本を読んだり、自分で書いたり、4学年上の姉とスケッチブックにマンガを描いたりして過ごした。
記憶では、初めて物語のようなものを書いたのは幼稚園時代。
紙を同じ大きさに何枚も切り背を閉じて物語と挿絵を描き、本が出来た!とみんなに見せていた。ちょうど大好きな伯母ちゃんが家を訪ねてきて、見せたらとても褒められたので調子に乗って「あげる」と言ってしまい、大後悔。わたしの初作品、どこに行ってしまったのでしょうね。
小学校の卒業文集、将来なりたい職業に女子の大半が「保母さん」と書いていた。みんな保母さんにばっかりなるわけじゃないだろうに、と思いつつ筆者が書いた職業は「作家」。馬鹿だな~。
だいたい筆者が得意だったのは「遠足の思い出」とか「読書感想文」の類で、もっぱら“レポート向き”。そちらではいくつか賞ももらったが、小説などイチから創作するものはからっきしだった。
将来の職業、「記者」と書いたらまあまあ当たってたのに。
それと小3くらいからは「こう書いたら大人たちに喜ばれる」というのが分かってしまい、夏休みに「わたしの詩集」なるものを制作。適当に製本して挿し絵も色鉛筆でたくさん描き、ドヤッと提出したら担任の先生がいたく気に入って持ち帰ってしまった。
……あれ、なんかこの話、既視感。
中2で人生が変わる。
思えば小さいころから、姉(や、父)の影響で音楽ばかり聴いていた。自分の音楽の嗜好が決定的になったのは中1か中2。当時、ある音楽雑誌のライターが一組のアーティストを追って詳細に綴った単行本を読み「これしかない!」と思った。
わたしはこれになる。
中2の夏休みの課題の読書感想文で、推薦図書などは無視してこの本の感想を提出した。国語担当の先生には、おそらく初めて、まっっったくウケなかった。「気持ちは分からないでもないけど、学校の提出物には…」という反応だったと思う。
そう言われた朝礼の風景もはっきり憶えている。その瞬間、視界がモノクロになった。そして気持ちがシフトした。ここで分かってもらわなくたっていい、わたしはわたしの道をいく。
高校では、念願だった軽音部に入った。
「ギター同好会」といって、大瀧詠一やあんべ光俊(ex.飛行船)を輩出した部らしい。
……疑わしかった。在校の先輩の中でシャレオツなポップスやフォークをやってる人は皆無だった。プログレ。オールドロック。ハードコアパンク。は?? 文化祭で「ステージから豚の内臓撒こうぜ。やべぇかな?」とか言ってる輩もいた。もちろんみんなコピーバンド。そこで遠藤ミチロウという存在を知る。
(大先輩のミチロウは福島出身。いま思えば東北は寒くて何につけ叫びたくなるからパンクが根づく地域なのかもしれない)
筆者も目の周りを黒塗りにしてザ・スターリンを歌った。
ほかに、校内ではウケないポップスのオリジナル曲も作った。
1 コ上の先輩で自宅にシンセ数台とドラムマシーンやMTR(だったかな)など一揃え持ってる金持ちお坊ちゃまがいて、そこに3人ほど集まって数十曲作り、アルバムも1枚制作。
すべての作詞とヴォーカルを担当した。
(幼少期に最初に書いた物語は、1曲の詞にまるっと引用してついに昇華させることに成功)
高2の秋、お坊ちゃま先輩が、とあるアマチュア大会に応募し、そのバンド(ユニット?)で県大会にも出場。盛岡のホール会場まで行って歌ったが結果は散々。ステージ上のモニターから自分の声がまったく聞こえなかった。FMラジオで生放送もあり赤っ恥をかいた。
そういう経験からも、ミュージシャン達が中音(なかおと)やイヤーモニターにこだわる気持ちがよく分かる。
音楽ライターになるにあたり、役立ったと思うのは、クラシックピアノを習った10年+独学での4年間。
(Kawai アップライトピアノ 3ペダル)
ギターは高校での約3年。
(Fender Japan テレキャスター)
クラシックピアノから入ったせいかギターで押さえるコードが難解に思えたので、「自分は絶対ギタリストになる!」と決めている人はギターから始めるといいかも(天才は除き)。
あと書道を約10年。ひと様に伝える書の世界、それと「動」→「静」への集中力はここで培われた。ただし正座をしすぎたせいで短足&O脚になったので、そこは無理をしないほうがベター。昔の日本人が短足なのは絶対、無茶な正座のせい。
高校の3年間、音楽生活を満喫し、学校の勉強はほとんどせず、18歳で東京へ。
音楽雑誌の編集に携わるのは21歳から。それまで音楽関係のバイトばかり幾つも渡り歩く。
執筆も編集の仕事もすべて独学のようなもの。編集は習うんじゃなくて盗むもの。
その辺の話は、また次回にでも。
音楽関係の仕事を目指す方々から質問なども受け付けたいけど、noteはコメント欄が無いんだっけ?
まだ全然使いこなせてません。それも、そのうちに。
(文=伊藤美保)
※トップ画像は、高校時代の文化祭の写真を適当に散りばめたもの。
(ほんの一部)
こんな高校生は嫌だw
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