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ご無沙汰してしまった
私はnoteを通常の日記のような感じに捉えていないため(あくまでも編集のことだけ書きたい)「次は何書こっかな〜」と考えているうちに、ダラダラと間が空いてしまいました。
編プロ社内では秋〜冬の刊行に向けて、作業が重なってきている状態です。
私も4〜5冊を同時進行で抱えており、1冊分、集中して作業できればいいのですが、4冊を並行して作業したりすると、時間が経つわりには何も進んでいない錯覚に陥り、「1日を無為に過ごしてしまった……」と落ち込むことも。
そんなこんなで今日は何を書こうかと考えた際、そう言えば校正・校閲が話題になった時期があったなと、ふと思い出しましたので、それにまつわるよもやま話を書いてみようかと思います。
まとめますと、今日の記事で申し上げたいのはですね、
校閲ガール(ドラマ)の影響凄まじき
ということです。はい。
ファッション雑誌の編集者になりたい女性が、校閲部に回されたドラマ、ありましたね(ごめんなさい、私は一度も観ておりません)。
あれはドラマなので(ここ大声で)、実際の校閲者のお仕事とはかなり違うんでっせ、というまとめニュースみたいなのも、たくさんあったと思います(それはたまに「へー」って読んでいた……)。
ドラマを観ながら
校閲者はそこまでやらねーわ!
と、腹立たしく思われた校閲さんもいらっしゃるでしょう。
勝手に著者に会いに行くとかね、編集者に〆られちゃうよ。
校閲と校正は違うわ!
と、イラっとされた校正さんもいらっしゃることでしょう。
ついでに校閲してくださる校正さんもいらっしゃいますけれども。
そして、編集者の場合はですね(これは版元さん・編プロさん同様かもしれない)
「この本に間違った情報が記載されていますが、きちんと校閲者はチェックしているのですか?」
的なですね、ご意見をいっぱいもらったことと思います。
いや、あのですね。いいんですよ?
だって、本の誤字脱字をしてきくださるお客様は、とってもありがたい存在です。そもそもね、誤字脱字は無い前提で、売ってますんでね。
誤字脱字がある時点で「編集者仕事しろ」って言われて当たり前です。
でもね、これだけは言いたいのです。
全ての本が、校正・校閲を通過してると思ったら、
大間違いである
と。
ドラマのように社内に校閲部がある会社なんて、今は数える程だと思います。どの会社も、そんな余裕なんてないのです。
だから外部の校正会社に出すことがほとんど。でもそれも、予算が潤沢にある場合のみ。
なのでほぼほぼ編集者が誤字脱字を潰し、校閲・校正作業を「専門じゃないのに〜(泣)」な気持ちでやっています。
しかも自分が書いた原稿を校正するとか、天に向かって唾を吐く気持ち。
なぜなら、自分で書いた文章というのは、人の書いた文章より、チェックが格段に甘くなるからです(先に何が書いてあるのか、わかりきっているから)。
けれども、出版業界不況のこのご時世、そうして作られた本の方が、圧倒的に多いと思います。
ここで話の流れを「出版社は本を出しすぎ」「売れないからって数で勝負しようとするのはどうかと」的な方向に持っていけば、そこそこ真面目な記事なんですけど、でも、読者からのお便りを読みましてつくづく感じたのは、
ドラマの影響がすごいのはわかってたつもりだけど、
人間ってこんなに簡単に洗脳されるの?
でした。いっそ怖かったです。
ドラマチックなハイライトを切り取った映像だけを観て、その道のプロフェッショナルになかなかのご意見をくださる方が多くてですね(自分が編集していない本への投書も、見せしめのため社内回覧されるシステム)。
イラっとかムカっとかする以前に、何だか虚しい気持ちになったのでした(まあ、プロならプロでミスのない本作れってだけの話なのですが)。
本日は、サスペンスドラマの取り調べシーンや検死シーンがデタラメだらけであるように、「こうあってほしい」とか「こうあるべき」とかの”イメージ”にかなり引きずられているのだなぁ、と自分を含め感じたーーーという記事でした。
雑談にお付き合いいただき、ありがとうございました!
(あれ? 日記じゃないはずなのにな……)