あなたの本をつくるとしたら
生まれも育ちも大阪女の私が、大阪で自分の話をすることになった。
とはいえ、考え込んだ。自分の仕事の話、人生の話と言われても、そんなんほんまに聴きたいですか??? と。
そこで、いつもみたいに手を動かしてみることにした。これが、おもしろかった。みんなもやってみると発見があるんじゃないかな。
何をしたか?
“あなたという人で一冊つくると想定した場合の目次を書き出す”
これ。
どんな人生も壮大だから、インパクトでかめのイベントを書き出すのには困らない。困らないどころかキリがないだろう。でも、それを本にまとめるとするならば、どうか? 第三者(本づくりなら編集者)になったつもりで、ネタをシビアに取捨選択することになる。
私にとっては大ごとであったはずのたいていのことは、他者にとっては、ほんっまに! しょーーーっもないし、どうでもいい。
という判断をしなくてはならなくなる。
本は十万字として、その字数をぶっ通しで話すならば四、五時間といったところか。四十ン年という尺の人生を一冊にするならば、四時間にミニマル化するのであるから、ほとんどのエピソードを捨てることになる。ましてや、今回のトークは一時間半なので、さらに削り込まなくてはならない。
あの出会いも別れも、失敗も成功も、たいていのことはどうでもいいし、自分をたいそうに捉えてはならない。そういえば、私が子どもの頃、何かに悩んでいると父はよく言ったものだ。
「おまえの悩みみたいなもんな、大げさにとらえることあらへん。宇宙の歴史に比べたら人の一生なんて、塵ほどにもならん。その程度の一生のたかが一時のことや。泣いててもわろてても、結局なぁんも残らへんねん」
父は昔から、物事をダイナミックすぎる視点で捉えるきらいがあって浮世離れしているのだが、一理はあるのだ。つい最近も、自分を祝うため五十名ばかり集まったという会合に行くのを忘れたうえ、「大したことあらへん。主役なんかおらんでもパーティーは楽しいもんや。大事なんはそういうことじゃないんや」と、「ええ冗談かましたった」みたいな顔をして笑っていた。せ、せやね……知らんけど。
自分なぞ、ほんとくだらない、という視点でジャッジすると、この目次づくりの作業はうまくいく。我が身に起きたエピソードを捨てて、捨てて、捨てまくれ。
そうして気づく。私って、
(必死で生きてきたはずなんだけど)人前で語るに値するほどのことなど、ほとんどあらへんやん!
一方で、わずかに残った項目で、十分話せることもあるやん!(=本1冊くらいにはなるもんだ)
次に残った項目をじっと眺めてみる。これは、私が仕事でもいつもする方法なんだけど、各項目から浮かび上がってくる共通キーワードを探すのだ。キーワードが自然に浮かんでくるまであきらめず眺め続ける。絵のように見る。
しばらく眺めていると案の定、各項目を何かしらのキーワードで貫けることに気が付く。そのキーワードが、私の場合は「審美眼」だった。このキーワードが自分という人間を語ろうとするとき、自分のコアな部分にある思想、軸である。自分というプレゼンスを自分自身が編集しようとするときの視点、強み、ブランディングといえるだろう。
大阪で、私は私のことを次の3つのパートで話します。
今回「私というもの」(主題)を俯瞰してみてわかったのは、というか前からわかってたけれど、私は物心つく頃から、物事の好悪が異常にはっきりしていたということです。好き嫌いが極端に激しい。好悪の傾向は一貫していて、ほとんどずっと変わってないし、たぶん死ぬまで変わらない。
そういう性質だったので、人に従って何かをすることが苦手で、学校では問題が非常に多かった。だから自分が好きなこと、美しいと思うものを自分の裁量で形にして、商品にする仕事をしよう。決定権の多くが自分にある仕事をしたかった。
価値観がはっきりしている私のような人間にとって、書籍編集者という仕事はフィットしやすい仕事だったと思います。「好き」を見つけてきて、形にして、これめっちゃいいですよ!とアピールする。好きをなんとかするのは、とても楽しいことです。
見知らぬ多くの人たち(読者)に、私の思う「これ/この人めっちゃいいですよ!」に共感してもらう。そのために私はどうしてきたか? 鶏か卵じゃないんだけど、これはもう徹底的に、自分の審美眼を磨くことだと、いまは思っています。それはなぜか。そんな話をする予定です。
好評につき、増席していただいたので、まだお席があります。
どうか、遊びにきてください。
サムネイル=『百冊で耕す』の念校ゲラ
文・写真:編集Lily
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