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読書の恩人のこと:叶わぬ恋のはなし

三砂慶明さんと読書の原体験の話になった。そのとき、両親が本を読まなかったことだと答えた。じつはあの話には、加えてもう一つ、大切なファクターがある。ずいぶん昔に書いた日記が出てきたから、貼っておく。



大阪ミナミ宗右衛門町の雑居ビルに、父や母が独身のころから行きつけている小さなクラブがあって、この店で開店当時からボーイをしていたTちゃんには、物心つかないうちから可愛がってもらった。

父より少し年上のTちゃんは古きよき時代からの松竹歌劇団ファンだった。母の古巣である。「おまえさん、お母ちゃんみたいになるんやで」と、私は事あるごとに、Tちゃんに言って聞かされた。母はそのたび顔をしかめた。「この子はへちゃやからあかんわ。体型も踊りに向いてへん」。相手にもしなかったし、私自身もそこらの女優さんより美しい母のそばにいたこと、自分は音に対する勘が鈍いと自覚していたことが相まって、表舞台に立ちたいなどと考える機会はついぞ、いちどもなかった。

 小学校に入るまで、私はTちゃんのことを小柄でお洒落な男性だと思っていた。Tちゃんが女のひとだと母から教えられたときにはひとしきり驚いたし、「一緒にお風呂に行かへんの? Tちゃんと遊びたい」などと、子どもとはいえごねて困らせたことを、いまだに恥じている。人を無神経に殴った自己嫌悪に、思い出すたび息がつまる、いちばんリセットしたい過去の一つだ。 

Tちゃんは、大阪船場の商家の一人娘として生まれついたが、ご実家が望むようなお嬢さん然とした「蝶よ花よ」の人生を歩むことができなかった。勘当され、夜の世界に入ったTちゃんは、だから生涯孤独だった。谷町の団地の小さな部屋にずっと住んでいた。いくら明るいことを言っていても、いつも寂しい空気が付きまとう人だった。

父に言わせれば「あいつは、暗うてあかんわ」だし、ありていに言えば、私の目にもTちゃんは全然楽しくなさそうに見えた。そして本ばかり読んでいた。でも私にとってTちゃんは恩人だった。本というものをまるで読まない自分の両親とは違い、子どもの私にたくさんの作家、しかも大人の作家を教えてくれた人だった。自分のいまがあるのは、彼女のお陰だという確信がある。

伊皿子坂の書棚にある三島全集は、Tちゃんの形見でもらったものだ。全36巻。普及版でないほうは44巻もあるらしい。三島、まじ働きすぎ。

 この全集を実家から取り寄せたとき、改めて一巻ずつ函から出しては、ぱらぱらと捲ってみた。その作業をしたことによって、明らかにいちばん傷んでいるのが『豊饒の海 春の雪/奔馬』の巻だということに、はじめて気がついた。『仮面の告白』でも『禁色』でもない、『春の雪』だ。 

不意に、最後に会ったときのTちゃんの言葉が蘇った。酸素ボンベを付けて病室の窓際に立ち、私の姿が見えなくなるまで見送ってくれたな。 

末期の肝がんで、やせ衰えていたTちゃんには、見舞いに来る人もなかった。それどころか、病室でテレビを見るお金さえ事欠くような状態になっていた。病院のテレビは硬貨を入れなきゃ見られない仕組みだった。

当時、私は学生だった。私の無力では何もしてあげられそうになかった。でもせめて、あとひと月。あとひと月も到底持ちそうにない命が尽きるまで、テレビを見るくらいのことで不自由なんかしないでほしかった。私は私の全財産を彼女にあげたいと思った。それがなぜテレビを見られるようにすることだったのか、いまとなっては意味不明だ。でも、自分にできる精いっぱいのことだ、と思い込んだ。何でもいい。理由がほしかったのだろう。

病室でこっそり、お金を置いていくタイミングを見計らった。ほとんど使命のように、なんとしても私はそのなけなしのお金を置いていかなければならなかった。そのとき、Tちゃんに言われたことだ。 

「おまえさん、ええ女になって、ええ恋するんやで。カールちゃん(私の母)もそれは別嬪やけど、おいらの惚れた女も、からっとして、お日さんみたいなええ女やったんやで」 

ああ、お店のママのこと。そう思った。

Tちゃんがボーイをしていたクラブのママは、大ぼら吹きの食わせものだけれど、からりと愉快な人だ。ヤクザも、宗教者も、私の母みたいなややこしい人も、全てを受けおう明るさがある。泥酔しては周りを巻き込み、あっけらかんと笑っている。

その隣で、Tちゃんはいつも頭を下げていた。吉野に桜を見に行ったときでさえ、そうだった。酒瓶をぶら下げたママは、キリと結い上げたいつもの和髪を、この日はなぜか垢抜けない少女のようなお下げにしていた。どろどろに酔って、信楽焼の狸みたいだった。その隣で、Tちゃんはやはり頭を下げて小さくなっていた。それでなくても華奢な肉体が透明になってしまいそうだった。 

いちばん焦がれた人の、いちばん側にいつもいて、絶対に自分には向けられることがないその人の色恋も、何もかも、嫌というほど、Tちゃんは見てきたのだ。焦がれた相手の無神経な無邪気に痛めつけられ、それでも支え抜いて生きたのは、どんな覚悟だったのか。

叶わぬ恋といえば、それだけのことだ。考え過ぎという気もするけれど、だからどうしようもなく、傷んだ『春の雪』に、胸が詰まった。

 『春の雪』。この世では絶対に叶わない恋のはなし。

けれども、三島は救いを書いた。少なくとも私はそう信じたい。それは、Tちゃんのためだ。

 今、夢を見ていた。又、会うぜ。きっと会う。滝の下で。

三島由紀夫「春の雪」

文・写真:編集Lily




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