国語力を求めて、三千里。とうとう、定義が見えたが…
前回の記事はこちら。国語力を追い求めていたら、深夜にKindleでポチって読みあさりはじめたのでした…。
数学者の藤原正彦氏の著書『祖国とは国語』を、読み始めたのが深夜2時。彼の主張が的を射すぎていて、やめられず。読み終わったのは午前3時(Kindleはキケンだね。寝る前に反省した)。
個人的に、めちゃくちゃ痛快だったのは、«数学者»の藤原氏が「国語はすべての知的活動の基礎である」として、「平成十四年に導入された新カリキュラムでは、小学校国語の総時間数は戦前の三分の一ほど」になったことを痛烈に批判していたことです。
なぜ、国語の総時間数が減ってしまったのか。
藤原氏は、平成14年(2002)に、新カリキュラムとして英語が入ったからだと、その理由を説明しつつ、ある教育学者に対して、国語の時間を削ってしまって問題が生じる可能性について質問したくだりを紹介していました。以下に引用します。
この意見に対して、藤原氏は「読む」「書く」「話す」「聞く」の、いわゆる4技法のうち、一番大切にすべきは「読む」ことだと説いています。
日本語で教えているだけでは「読む力」は育たないんです。「読む力」をないがしろにすると、知的活動能力が低下し、論理的思考力も低下し、情緒も低下し、祖国愛も低下していくのです。
私は、オリンピックにもサッカーワールドカップにも興味を持たない派なので、正直「祖国愛」についてはよく分かりませんが、論理的思考力と情緒が低下していくことには同意します。長文を読まなくなったら、論理的思考力は低下します。当然です。人間模様が描かれる物語を読まなかったら、情緒も低下します。当然です。
国語力は要するに、ヒューマンスキルだった
『祖国とは国語』を読み進め、国語力は要するに、文章を読むことによって培われる「ヒューマンスキル」を醸成するための基盤となる力、と理解しました。
「ヒューマンスキル」という表現は曖昧なので、さらに資料を探して、「これからの時代に必要な国語力について」と銘打った、文化審議会答申(平成16年2月3日)の資料にもあたり(ちなみに、この審議会には藤原正彦氏も参画されてました)、国語力の定義を発掘しました。審議会答申による「これからの時代に求められる国語力」の定義は以下の通りです。
これからの時代に求められる国語力
考える力:分析力、論理構築力などを含む、論理的思考力
感じる力:相手のキモチや文学作品の内容・表現などを感じ取ったり、感動したりできる情緒力
想像する力:現実には存在していない事柄などを推し量り、頭の中でそのイメージを自由に思い描くことのできる力
表す力:考え、感じ、想像したことを表すために必要な表現力
※1〜3は、それらを統合して「理解する力」とする
こららの4つ力は、以下の4つの基本技能によって培われます。
聞く力: 他者の話を正確に理解し、適切に反応する力
話す力: 自分の考えや感情を明確に伝える力
読む力: 文章を正確に読み取り、内容を理解する力
書く力: 自分の考えを論理的かつ効果的に文章で表現する力
これらをモデル化した国語力の構造図が非常に分かりやすかったので、以下に引用します。
どうやったら、国語力は伸びるのか??
国語力を伸ばすために画期的な解決策、それは……
読書です!
藤原正彦氏も、文化審議会答申でも、国語力を伸ばすためには、小学生のうちから読書習慣をつけていくことが望ましいとまとめていました。
思えば、小学生や中学生時代、読書週間がありましたよね。夏休みには読書感想文が宿題になりました。
ただ、中学・高校になると、とたんに本を読む機会が減るそうです。読書量が減少傾向になるため、先の文化審議会答申では、読書週間活動の拡充・継続のほか、学校図書館に対しての蔵書数を計画的に増やす計画が頓挫している点を指摘したり、読書活動推進の具体的な取組を提案したり、具体的な取組を提案していたのは印象的でした。
でも、悲しいかな。この答申が出されたのが平成16年(2004年)。
20年後の2024年の調査では、日本人の約6割の人が1ヶ月に1冊、本を読まないことが文化庁から発表されるのでした。それについては、また次回。
PostScript:
20年前の小・中学生は、現在おそらく30〜40歳だよねと思ったら、文化審議会答申「これからの時代に必要な国語力について」(平成16年2月3日)が、なんだか、かわいそうになりました…。あと、真夜中の読書はあまりよろしくない。身体に。
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