フリーランス maricoDESIGNの場合
【marico DESIGN:髙橋まり子】
なぜフリーランスになったか?
時代がそうさせた…!
なんて大それたことはなく、私の場合のお話です。
結婚・出産を機に、地元浜松のおとなり、湖西市に嫁ぎ住み始めた私。
それまでは印刷会社で働いていたのですが、仕事中心の生活で何年も過ごしてきて、趣味らしい趣味のない人間でした。
そして、30才越えで恥ずかしながらのデキ婚。1年の産休で子供との時間も大切に過ごしていました。
印刷会社への復帰という選択肢もありましたが、湖西と浜松…通勤が困難で断念。
しかし!!仕事をしたい衝動が。(趣味もなく、家事も好きではなかったし…)子供との時間も大事だけど、それだけでは満たされず、仕事をすることが私を満たす手段だったんですねw
「もっと子育てを楽しめば?」とか、実際に「まだ子どもも小さいし大変じゃない?」と言われたこともありました。
でも、私にとって趣味=仕事! 自分の時間(仕事)がない空虚感の中では、逆に子どもにも悪影響が…苦笑 仕事をしている方が、子どもにもやさしく、家事もできないなりに頑張れるんです。(家事をやらない理由にもなるし?)
そして、仕事の為に子供の預け先の保育園を探す事に。
でもそこに大きな壁が…
義父(当時まだ65才以下)と同居では保育園に入れなかったんです。(面倒見れる人がいるという判断…)
しかしながら、知人の紹介で、アルバイト(PC作業でレーザー加工のデータを作成する仕事)を募集していた湖西の企業で働くことに。3時間ほどの短時間で、その間は義父に子供を見ていてもらうことにしました。
そして、バイトをしながら、都合がつけばよく通っていたのが、Web会社(株)NOKIOOの事業であるON-MOプロジェクトでした。
ON-MOさんは「子育てはブランクではない」というテーマを掲げ、子育て世代ママ向けに、社会復帰前のノウハウ(考え方、動き方、学び方)のセミナーを開催している事業です。
仕事を渇望していた私にとって、心に響くワードだらけのセミナーでした。
小さな子供を抱えていても、託児も用意されていて、足しげく浜松へ帰っていたのが懐かしいです。
余談ですが、5〜6年前にスタートしたON-MOプロジェクトは、今や東京進出も果たし、どんどん活動が拡大しています。その最初の受講生だったわけです。
そこでも、運命的にON-MOの事業をスタートさせた理事のOさんが同い歳で、学んでいく中で『フリーでやってはどう?』と背中を押してくれ、更にお仕事も依頼してくれて…!そして、私はフリーランスでの仕事をスタートすることになったのです。
そこに至るまでに、何度も求人情報を調べたこともあったけれど、働く条件がなかなか合わない、子どもを理由に休む事ができない、家から遠い、などなど…特殊な仕事なだけに、条件が合う求人がなかったのも、起業する理由でした。
そうこうしている内に第2子を妊娠・出産。(女の子でした)
娘が1才になった頃、4月生まれの長男を3歳児受け入れのこども園に入園させることもでき、子どもが昼寝中に仕事をしたり、だんだんと仕事の量も増やしながら、今年でフリーランス6年目。(長男7才、長女4才になりました)
思い返すと、いろいろなご縁が重なって、今があるんだと再認識します。
まとめ>私の場合、子どもを預けることができない状況で、子育てと仕事が両立できる勤め先が見つからず、それでも仕事をしたくて、今迄の経験(キャリア)を活かして自宅で自由に仕事ができるデザインのフリーランスになった!ですね。
強い理想があった訳ではなく、ゆる〜くスタートした私。
でも、少しずつ前に進んでいます。