私がフリーランス編集になったわけ
【編集:宮坂雅代】
私が東京の中堅漫画出版社を辞めたのは、5年前。夫と当時小学2年生&2歳になったばかりの息子達と一緒に、私の実家である沼津に引っ越しをし、3年間の新幹線通勤を経てからだった。
新幹線通勤の最初の数日は楽しかった。東京では核家族で、夫の帰りは遅く、フルタイムの仕事から帰ると家事・育児の毎日だった。一方沼津では父母が子供をみてくれ、母が家事をやってくれる! これまでの怒涛の日々から解放され、片道約1時間半強の通勤をはじめのうちは、帰りにお酒を買って、好きな本を読んだり音楽を聴いたりと、堪能していた。
だけど、その数か月後、会社が移転し、通勤時間が15分のびた。
通勤時間は片道1時間45分~2時間。
東海道線の乗り合わせが悪いと、2時間以上かかる、つまり1日の通勤時間が4時間という生活。
その上、昇進して、部長職に就いてからは、中間管理職として、下手をすると1日で5回会議や打ち合わせがあり、好きだった本づくりができなくなってきた。仕事はやりがいはあったものの、ただ純粋に編集をやっていた時の面白さとは違い、年2回くらい、原因不明の眼底出血もあった。小学校のPTA役員の負担も重かった。
そしてある朝、母が長男に切れているのを出勤前に目にして、(ああ、これはやばい)と思った。いくら安定したお給料をもらっていても、心から楽しいと思える仕事ができない状態で、子供も親任せ。このままでいいのかな……。
そして、15年以上続けた出版社に辞表を出した。
仕事人として、常に必死に働いてきて、母親としても、できる限り一生懸命やってきた。いったんここで、休息しよう。失業給付がもらえる期間は、めいっぱいもらおう! 辞めるときにそう決めた。
東京で観劇したり、人と会ったり、飲みに行ったり、スペインに行ったり、スリランカに行ったり、 職業訓練校でビジネスWEB講座を学んだ。
その間に就職活動も少しずつ行った。地方都市にクリエイティブ系の仕事はなかなか見つからない中、アプリ開発の会社があることを知り、企画職として、まずは週3、4勤務で無事そこに入ることができた。ただ、業務委託での編集の仕事も少しあり、様子をみながら、完全に編集をやめてアプリ会社1本にするかを決めようと思っていた。
そこから1年半を経て、出した結論は、「フリーランスの編集としてやっていこう」ということだった。
アプリの仕事が、このままこれをメインにするにはきついかなという内容だったことと、少しずつ編集の仕事が増えだし、家に帰ってからも仕事、土日も仕事で、体調を崩しやすくなっていた。特にメインでの編集の仕事2本は、しばらく続けられそうで、フリーランスになっても継続的な収入が見込めそうだった。 こうして、晴れて独立をした 。(そのあとに、とんでもどんでん返しが待っていたのだけど…。)
そんなかんじで、私がフリーランスになったのは、「自分が望んで」というわけでなく、けっこう成り行きだったり、なし崩しだったりする。
完全フリーランスになって、1年と9カ月。ありがたいことに、仕事も定期的にある。時間もけっこう自由に使えている。
フリーランス生活、私には、あっているみたいだ。
2019-11-28 記